|
2016/11/18(金)
寒さの中で考えるのだ
|
|
|
この時期の山仕事は冷たさとの勝負だ。とにかく寒いを通り越して痛いような感覚に襲われる。こういった寒さから来る指先の痛さは1時間も泣いていると慣れるもので 僕の会ったことのない伯父さんがシベリヤの収容所で体験した痛さを70年越しに体験してみているように名前だけの伯父さんを思いながら我慢しているのだ。 世の中はどうも良い方向に向かっているとは僕は思わないのだがこの時代の人たちの多くがこれで良いというのならこれはしょうがない。シベリアで昭和22年に亡くなった僕の伯父さんのことなど誰にしたって関係ない1銭5厘の兵隊のひとりということになる。それでもこの伯父さんが戦病死したおかげで僕の子供の頃のお年玉は一向に増えることはなかった。 11月の奥山での作業はシベリアとは比較にならないのだがつらいものだと考える。そこで僕は少しでも痛い寒いからどう逃げるかと思案している。それでも僕はこの秋山で戦病死することはない… 明日飯山線の機関車の汽笛を聴きに行こうと思っている。ただ雨の予報で雪にならなければの話だが。
|
|
|
|