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2016/01/12(火) いくつになっても夢のなかを列車は走っている
 朝6:46立川から中央東線に乗って甲府で乗り換え松本まで年末に行ったことは先月の日記で書いた。往復ロングシートの車両で誰とも話すことも無い電車の移動だった。浅間温泉に向かったのだ。
 昨日の日記を読み直してもうひとつあの旅の先の思い出を書いてみようと思う。JNR,国鉄時代の旅の思い出だ。
 当時留萌から羽幌線で幌延を経由して稚内、ここで泊まったように記憶している。翌朝天北線で浜頓別。興浜北線で北見枝幸、ここでバスに乗り換え地吹雪のなか国道234を雄武まで下り興浜南線で興部、紋別とオホーツク沿岸を下ってきたことがあった。そういえば渚骨線もあったな。名寄本線で遠軽に出て石北線の急行「大雪」で網走に向かった時のことだ。この急行は旧型の客車にC58型の蒸気機関車が重連で付いていた。当夜は大雪で網走行きの列車は留辺蘂、北見と長い時間停車していたように覚えている。僕のボックスシートには3歳ほどの男の子を連れた30代前後のお母さんがいて時どき子供がぐずっていた。どこでだったか僕はホームにでて何かジュースだったかミルクだったか判然としないけれども買ってきて子供に渡した。やがて列車は汽笛を小さく上げて網走へと向かうのだった。
 この列車は網走で夜行急行「大雪5号」となって札幌方面に折り返す。僕は札幌に行こうとしていたのだ。今調べても当日の天候による遅れなどで判然としないけれどもこの急行「大雪5号」はゆっくりと網走まで進んで行った。
 前に座った子供をつれたお母さんは少しづつ話し始めた。「昨日一日中麦わら帽子を探して歩いた、主人が南洋に漁に出るので…でも真冬に麦藁帽子っておかしい」というようなことを彼女は話した。僕も若かったし彼女も若かったはずだ。どこの雑貨屋に行っても結局麦藁帽子は見つけられずに旦那さんは列車に乗って停泊港に向かったという。「この冬に麦藁帽子っておかしいわよね」というようなことを彼女は話した。列車が止まる度に外灯にまつわりつくように降る雪がきれいだったことだけを、40年も前の思い出として僕は覚えている。網走に着くと迎いに出ていた女の人と連れ立って去って行くそのお母さんと子供に軽く会釈して僕は折り返して上りの大雪5号になるその列車に乗って 来た線路を引き返していった。先頭車両に乗った僕の前には網走保線区の職員が何人か乗っていて、重連になった列車が進めなくなると機関車だけを切り離し保線区員乗せて除雪に向かった。遠くで3回短い汽笛を鳴らして帰って来た機関車は再び大雪5号を牽引して峠を越えていったことを、その日のことを僕は覚えている。毎年冬になると会社を止めてでも僕は北海道を走ったものである。


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