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2015/02/26(木)
原風景。
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ふと思い出すことがある。
学校の授業で、「これ誰かわかる人ー?」とか 「○○だと思う人ー?」とか、先生に聞かれても たいがいほとんどの人が手を挙げない。恥ずかしいというか、わかってても 挙げるのがダサいというか。
中学の時、クラスでいつも手を挙げてる子がいた。 でも高校で同じクラスになった時(中高一貫なので)、 その子もみんなと同じ、手を挙げない子になっていた。
空気にのまれたのか、面倒になったのかわからないけど、 たぶん前者かな。
最近になって、「あの子、途中から手を挙げなくなったなぁ」と 教室の風景やにおいを思い出すことが増えたのです。 原風景っていうのかしら。
たぶん、「空気を読む」とか「同調圧力」とか「大衆に受けるとは」とかについて、ぼんやり考えることが増えたせいかと。
で、似たようなことで、中間テストとか期末テストの時期によく交わされた
「テスト勉強したー?」 「えー、全然してないよー。」(たぶん嘘) 「私もー。やばいよねー。」(これも嘘)
という、意味のない会話が心底嫌いやった自分も思い出す。 だって、テスト前に勉強してない訳ないやん。。。 出来、不出来は置いといて、「全然してない」はうそでしょー。 「やってない者同士」であることの確認と共有。 否定はしなかったけど、「テスト前やし、多少はしたで」って いつも答えてたな。
でも中にはホントに「私、化学全然やってないねーん」っていって 「ほらー、やっぱ30点なかったー」って 答案用紙ヒラヒラさせながら言ってる子もいた。 その子の事は好きやったな(笑)
その場を穏便に済ませるための言葉がある。 それは、お世辞でもなければ、嘘でもない。 ただの道具なんだけど。 道具の選び方も、使い方も身につけないまま、大人になってしまったなー。 身に着けるためには、経験を積まなきゃならなかったんだよね。 失敗を重ねながら。 もう傷つくことには手をだしづらい年齢になってしまいましたー。
周りを好きな人ばかりで固めておけば、そんな道具は使う必要はない。 自分の気持ちが素直に伝わる言葉を選べばいい。
社会に出るとそういうわけにはいかんのよなー。 社会を好きな人で固めるという手もあるけど。
あぁ、久々に書いたのに、結論のない、とりとめのないメモみたいになってしもた。
すべて冬の寒さのせいにしてしまおうー。
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