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2009/04/02(木)
相談援助の基盤と専門職・ソーシャルワーク史・ポイント
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*模擬試験、本試験でも、必ず歴史から出題されます。少しづつ確認していきましょう。 *ソーシャルワーク形成・発展史<欧米編@> ■エリザベス救貧法 (1601年) ・都市における浮浪貧民の増加などにより、イギリスでは「物乞い」行為に関する禁止・許可制に関する救貧立法、また各地方の個別の救貧行政が行なわれていたが、手に余る教区・都市も出始めていた。そこで1601年、「エリザベス救貧法」として知られる救貧立法の集大成がなされた。この制度は17世紀を通じて救貧行政の基本となった。 ◎エリザベス救貧法は当時の公的救済制度の基本法であり、教区を救貧行政の単位とし,治安判事の監督のもとで,貧民監督官が貧民の保護・監督の責任を負い,その費用としての救貧税の課税・徴収を行った。 労働能力のない貧民(無能貧民)には扶養が与えられ,労働能力のある貧民(有能貧民)には就労が強制され,これを拒否する場合は処罰された。両親に扶養義務を期待できない児童は徒弟にだされた。 ・エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあり、以降、救貧行政は国家の管轄となって中央集権化を強めていった。また、救貧法は現代社会福祉制度の出発点との評価もあるが、法の目的は貧民救済ではなくあくまで治安維持にあった。したがって貧民の待遇は抑圧的(収容と強制労働が基本)であり続けた。 ◎労役場が貧困者の収容施設として救貧法に位置づけられ、1722年のワークハウス・テスト法制定により,救貧法による救済は労役場への収容に限定されることとなった。 ・労役場は、ときには健常者と病気を持つ者を分け隔てなく収容し、院内での感染もおこった。こうした待遇から脱走や労働拒否を試みる貧民はあとを絶たず、一定の社会的安定をもたらす効果はあったものの、貧困問題の根治には至らなかった。
<救貧法体制> 枢密院(Privy Council、中央行政機関) ┗治安判事(justice of the peace、地方行政を司る。無給の名誉職) ┗貧民監督官(overseers of the poor、2-4名。無給の名誉職で救貧の実務官) 監督官は救貧税を徴収し、税は以下の救貧行政の費用に割り振られた。 ・強制労働させる労役場の維持費 ・労働不能貧民の救済費 ・徒弟に出す「児童」の養育費
◎エルバーフェルト制度 ドイツの貧民救済制度であり、1853年にエルバーフェルト市(現・ブッパータール市)の条例に基づいて実施され,その後ドイツ各地で実施されるようになった。ドイツの貧民救済制度としては,1788年にハンブルグ制度が実施されていたが,エルバーフェルト制度では,地域を細分して各地区に無給の名誉職としての救済担当者が配置され,この救済担当者が貧困家庭の訪問,調査,相談などケースワーク的手法を用いて援助を行うこととされた。
■産業革命後の貧困 テキストP82から 19世紀末、産業革命後のイギリス社会は,貧富の格差が拡大し、都市への貧民の流入と貧困地区の出現、失業と貧困、劣悪な労働環境と病気など、資本主義社会がもたらした社会問題が山積していた。 しかし、国家としての対策は「救貧法体制」のもと、(要保護)貧民への劣等処遇の原則、労役場(ワークハウス)への収容と強制労働、治安の維持などの救貧事業に留まっていた。このような背景から、民間慈善団体の発展がはじまっていた。しかし、貧困の原因とは道徳的欠落をもつ者の自己責任であるみなす考えが当時の社会では主流であり,多くの慈善団体が同様に、道徳的に向上させることが貧困からの脱却につながると考えており、また慈善活動が乱立する傾向もあって、救済の重複と救済漏れの問題が生じた。
◎慈善事業 charity 生活困難にある人に対して,宗教的な動機から援助する救済事業のことである。中世キリスト教社会で広まった。わが国では古くから仏教思想に基づく援助がなされ,また明治時代以降では,キリスト教の信仰に基づく援助が行われた。近年では,宗教的動機を問わず,近代的人間愛に基づいた救済事業を総称した意味で用いられることが多い。
◎博愛事業philanthropy 博愛とは,すべての人を平等に愛し,大切にすること。隣人愛やきょうだい愛などのキリスト教の思想を基礎にして,18世紀ヨーロッパで広がった社会思想。社会福祉の発展段階の一つとして捉えた場合,救貧法等による国家政策が十分に機能していない,あるいは制限的な対応をしている時期に,それを補完するものとして機能した。慈善段階よりは後に属し,それと融合しつつ民間社会事業の基礎を形成するのに貢献した。
■『相互扶助論』:ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン テキストP81欄外 参照 クロポトキン(1842年 〜 1921年)は、ロシアの思想家、地理学者であった。彼がその生涯大半で主張したのは、個々人の自由意志で結びついた共同体(コミューン)が基盤となるヒエラルキーなき社会を目指す思想「無政府主義」であった。また『パンの略取』『相互扶助論』に代表される多くの著書、論文を残した。彼の思想は日本に於いて幸徳秋水や大杉栄などに大きな影響を及ぼした。社会福祉領域のセルフへルプの根底にある思想の源流として、クロポトキンの『相互扶助論』(1902)にあるとされている。
<こちらも学習にご活用下さい。> *ソーシャルワーク・社会福祉援助技術論、練習・模擬問題集1 (社会福祉士・精神保健福祉士 受験支援セミナー・MGU 2008 第3回実施分) http://docs.google.com/View?docID=dcxvhmvj_4gnnzpghj&revision=_latest
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