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2008/12/05(金)
ソーシャルワーク関連科目・練習問題
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<援助技術論>練習問題 2 問題23 日本における社会福祉援助技術の歴史に関する次の記述のうち、正しいものに○、誤っているものに×をつけた場合、その組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。
A 青少年団体やセツルメント運動は、1880〜90年代に日本に移入された。当時の代表的なセツルメントとして、石井十次が設立した「岡山孤児院」がある。 B 1917年の岡山県済世顧問制度を契機にに始まる方面委員制度は、ドイツのエルバーフェルト制度やCOSの友愛訪問などを参考にして、民間の篤志家に貧困世帯の援助や生活状態の調査に当たらせたものである。 C リッチモンドのケースワークの定義や方法論は、1920年代に日本でも紹介され、「救護法」制度に伴う公的な救済事業に反映された。 D 1938年、竹内愛二は『ケースウォークの理論と実際』でアメリカのケースワークを体系的に紹介したが、戦時下の厚生事業には受け入れられなかった。 (組み合わせ) A B C D 1 × ○ × ○ 2 ○ × ○ ○ 3 × ○ ○ × 4 × ○ × × 5 ○ × × ○
問題24 次の記述のうち、年代が正しいものに○、誤っているものに×をつけた場合、その組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。
A 個別援助技術の「診断主義―機能主義論争」がなされたのは1920年代である。 B レイン報告書の提出によって地域援助技術が社会福祉援助技術の一つとして位置づけられたのは、1980年代である。 C G.コノプカがソーシャル・グループワークの定義をしたのは1960年代である。 D 集団援助技術の三つのモデル(社会的目標モデル、治療モデル、相互作用モデル)が提示されたのは1960年代である。 (組み合わせ) A B C D 1 ○ × × × 2 ○ × ○ ○ 3 × × ○ ○ 4 × ○ ○ ○ 5 × × ○ ×
問題25 次の人物とその業績に関する記述のうち、正しいものに○、誤っているものに×をつけた場合、その組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。
A G.ハミルトン … 診断主義個別援助技術の理論化をすすめ、「環境の中の人間」という視点を提示したものの、社会的側面よりも心理的側面に重点をおいていた。 B J.タフト … 機能主義個別援助技術の初期の論者の一人であり、援助者がぞれぞれの「機関の機能」を代表して援助するという視点を提示した。 C H.バートレット… 「診断主義」「機能主義」の対立が続くなかで、社会福祉援助技術と社会科学との連携を訴え、「リッチモンドに帰れ」と主張した。 D A.マイルズ … 『社会福祉実践の共通基盤』を著し、社会福祉援助技術の共通基盤と準拠枠を明確化した。 (組み合わせ) A B C D 1 ○ ○ × ○ 2 ○ ○ × × 3 ○ × ○ × 4 × ○ × ○ 5 × × ○ ×
======================== <解答>
問題23 正答1 A× 石井十次も大阪でセツルメント活動をしていたが、「岡山孤児院」はセツルメントではない。 当時の代表的なセツルメントを挙げるとすれば、片山潜が設立した「キングスレー館」等である。 C× リッチモンドのケースワークの定義や方法論は、1920年代に日本でも紹介されたものの、「救護法」制定に伴う公的な救済事業には反映されなかった。 *テキストP94等参照
問題24 正答3 A× 「機能主義」個別援助技術が形成されたのが1930年代なので、1920年代に「論争」がなされたということはあり得ない。「診断主義−機能主義論争」がなされたのは、1930年代から、パールマンやアプティカーの折衷主義の考え方が形成された1950年代までである。 B× 「レイン報告書」の提出は1939年。(全米社会事業会議が地域援助技術を社会福祉援助技術の一つとして位置づけたのは第二次大戦前で、集団援助技術(1946年)より早い。) *テキストP92等参照
問題25 正答2 C×,D× (H.バートレットとA.マイルズの説明が逆になっている。) *テキストP97等参照
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