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2008/11/06(木) 社会福祉の歴史(日本編1)各科目共通ポイント
<昨日の、米国におけるソーシャルワークの発展については、セミナー第1回にて解説済みでした。復習をしましょう。>

第2章 社会福祉の歴史・日本における社会福祉の史的展開 1
1 救済行政と宗教活動
 古代律令制度から明治維新(恤救制度)にいたる日本の救済制度は中国の救済制度の影響を受けていた。
中国の救済制度とは、家族制度と地域制度を基盤に,儒教や仏教の思想が背景にある。
・古くは、孤児・病者を養う悲田院とともに施薬院がおかれている。
また、僧行基は救貧事業を行った。これは仏教慈善事業とつながりが強い。
しかし農民救済制度としては災害・飢饉に対する荒政・常平倉・囲籾といいた備荒貯蓄,古くは義倉などもそのなかに含まれる。

2 村落共同体の相互扶助
・室町時代には、キリシタンによって自然科学的方法を取り入れた兄弟愛的慈善活動が行われる(ミゼルコルディア。他、救癩・孤児院・病院づくり)が,幕府の禁制によって長く弾圧された。
・徳川幕府は、幕府と藩の二重体制で租税方式をとり、商業の台頭と貧富の格差の増大,天災や飢餓により増加してきた窮民に対しては,「五人組制度」により相互扶助と連帯責任を強要した。五人組は本来,住民相互の自発的な相互扶助を、国家が制度として強要した。
・江戸末期の儒学者の救済論は 1)救貧よりも防貧重視 2)家族制度を重視し,血縁,地縁,国主の順で責任をとる 3)村落共同体の救済を重視し都市貧困層には帰農,開墾奨励.

■解説:隣保相扶
◎隣保相扶とは、村落共同体を中心とした相互扶助思想をいう。公的救済概念が発生する以前の,人々の自然の発露としての救済思想を基盤にした相互扶助である。1874年に制定された恤救規則は,前文に「人民相互ノ情誼」を掲げ,隣保相扶を公的な救済の前提条件とした。江戸時代の五人組制度,戦時下の隣組制度などもその一形態である。
*日本では「家」制度と村落共同体に基づく相互扶助の思想が根強い。

3 恤救と慈善の間で
<ポイント>
・明治維新後、急速な産業革命・近代化の背後で,貧困に伴う生活問題は増大し、都市の貧困地区の形成,劣悪な労働条件,健康破壊や非行・犯罪などが多発した。また、所謂「身売り」、捨て子の問題など、人権問題も深刻化していた。
・明治2,3年前後、江戸時代の下層社会を母体にして、都市の細民街が形成された.乞食・浮浪者・下級職人・日雇・土方・零細行商人・零細自営業者など。また、維新の政治的変革から生まれた浮浪者・無籍者や貧困者が増え,士族の失業問題が深刻さを加えた. 

●明治4年、「棄児養育米の達」、0歳〜15歳までの棄児に年7斗の米を支給

●1874(明治7)年「恤救規則」が制定−
 農民一揆の激増を機に制定された、日本初の救貧法・制度である。
◎恤救規則とは、1874年に府県に出された通達(明治7年太政官達162号)であり,窮民に対する国による救済策を示したもの。この規則においては「人民相互ノ情誼」が強調され,生活困窮者に対しては血縁・地縁による相互扶助を第一に優先させることを旨としている。公的救済は、家族の扶養を受けられない者に対象を制限し,極貧の労働不能者,70歳以上の老衰者,病者,13歳以下の子どもに対して,一定限度の米(その後,米代に変わる)を支給するものであった。

*1879(明治12) 京都府立盲唖院設立(盲児,聾児への職業教育)

*1880(明治13) 楽善会盲唖院開設(盲生は鍼・きゅう・按摩や音楽,唖生は裁縫などの職業教育中心)


■用語解説:キリスト教社会事業
 キリスト教の信仰を基盤に,主に教会を中心として実践される社会事業。明治期に入って多くのクリスチャンが近代社会事業の実践家として活躍した。事業内容は,児童保護,監獄改良,医療保護,廃娼運動,禁酒運動,隣保運動などであった。

*1880(明治13)年、東京YMCAをはじめとする青少年団体の集団援助活動。

*1887(明治20)年、石井十次によって岡山孤児院は、「孤児教育会」として設立。「家族制度(現在の小舎制)」の導入、里託児制度の設置、非体罰主義、海外をも巡回した募金事業を行なった。濃尾震災、東北三県凶作などの孤児を収容し、「孤児無制限収容」方針発表後、一時1200人規模の施設となった。その後、入所児童の農業的独立のために、宮崎県茶臼原へ全面移転し、1926(大正15)年に解散した。
・孤児院の他に、石井十次は、大阪「愛染橋保育所」など、セツルメント的な事業なども試みた。

*1897(明治30)年、片山潜のセツルメント「キングスレー館」設立
 キングスレー館とは、片山潜がアメリカにてキリスト教社会主義,社会問題を研究し、帰国後,1897年3月、東京の神田三崎町にグリーンの支援を得て設立した日本の先駆的セツルメント施設である。琴具須玲館とも表記。「基督教社会事業の本営」として,青年倶楽部,講演会,大学普及講演,西洋料理,英語,市民夜学校,職工教育会など労働者教育型の事業を展開した。労働運動,社会主義の方向性や当時の社会状況の困難から1910年代に入り活動を終えた。


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