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2007/04/07(土)
『無』の時
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『無』になりたり自分が出てきている。
何処に行きたいわけではない。 何がしたいわけでもない。 じっと、時を離れ、自分を離れる、『無』の境地にひたりたい。
以前 こんな気持ちの時は、行きつけの お寺の仏殿で静かに過したものだ。 最近は、時がもったいないなんて、よく思ってしまう。 静かに 何もしないで時を過すなんて できなくなっているところがある。 時に流され、焦りもがき、自分を見つめられなくなっているところがある。
貴重で大切な時間を使うのが下手になっているようだ。
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