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2006/09/05(火)
仮有(けう)の時
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時の流れは確かに流転である。無常である。 窓の外、そぼ降る雨、あつい雲に被われた空‥‥ 眉間にシワをよせパソコンと戦っている人、 ペットのインコを肩に乗せて嬉しそうな顔を浮かべている人、 宿題論文について懸命に語っている人‥‥ 静かに眺めていた私。 時は進んでいる‥‥ 暑さは去り、木葉の色は変わりつつある。 人の心、物全ては移り変わり、仮有の時であることを感じる。 ふと目を閉じて それを思えば、物足らずに愚痴り、 不服ばかりに揺れる日々の思いもいつしか薄らぎ、通り過ぎ、 今この時を過ごせる大切が より素直に観えてくる。 これから現れて来る新しい時の恵みたるもの全て縁起という 因縁によるもの。 「悪因悪化」「善因善果」をしっかりと受け止めて精進、 尽さなくてはならない。「諸行無常」の心だ。
「因縁」‥‥ 改めて思い観つめていた。 「因」は原因、「縁」はゆかりあるもの、 原因を救い導き 結果を生じさせる力と言われる。 物事、物、何ひとつ そのままの姿を残せるものはない。 ‥‥「諸行無我」だ。 「生」の時、一日一日、一時一時の大切に謝を抱いていた。 その時の中に生じ現れる「縁」の尊さを有り難く感じていた。
何を愚痴っているのか‥‥ 何故に不服を持つのか‥‥ こんなにも幸せな時の中にいて、素敵な人々の中にいるのに。 今という時はもう無い。良くも悪くも、この時はもう無い。 この今、そして人々を大切に思い、信じる事で、恵まれた 「因縁」、将来が現れてくるはず。
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