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2006/09/27(水) 『 師 』
以前から 私の心を揺り動かす根本的な『師』となる人物は、承知のとおり『弘
法大師・空海』であるが、この今、『師』と仰がなくてはならない人物がもう
ひとり存在している。
その人物とは少林寺拳法・成実道院の道院長「H」氏、年齢は6つ下である。
縁あって氏との付き合いが始まるなか、いつしか私も少林寺拳法を始めること
になり、最初は簡単な遊び心からではあったが、やり通していくうちに内外の
真理を感じ受ける大切を見始めていた。
『師』として受け止め信じたからには、楽しく、元気良く、健やかになどと唱
え教える『師』を尊び、欺かず、常に忠誠を持ち備えなければならない。

そんな心で学び受けている、我々弟子ではあるが、時々叱られ怒鳴られる。
私はたとえ他の者に向けられた言葉であっても、全て自分の戒めとして受け止
めるよう心がけてきたつもり。『師』の言葉は慈悲・慈愛の中から生まれ与え
られるもの。同志全ての者に対して配られる心の糧となる とても有り難いもの
なのである。
そんな『師』の心を直ぐさま忘れてしまう悲しさもまだまだある私‥‥
『師』の優しさ、人柄に甘んじて いい気になってしまう。 自分さえよければ
何とかなるだろう‥‥ 中途半端な自分を改めることもしない‥‥
私も度々心が浮つき、疎かになり大切を感じ見なくなることがある。

先日、練習を始める前、禅を組み、自分自身の心を見い出すために一同が揃っ
て「教典」を唱える「鎮魂行」が久しぶりに行われた。
少林寺拳法にとって大切な禅行でもある。「聖句」「誓願」「礼拝詞」「道願
」「信条」‥‥ 文字数としては880字をこえる教文。
「慣れれば徐々に覚えられる」と『師』に言われていたが、正直、試験への
必然性もさほどなく、早めに覚えなければならないという気持ちが薄い情けな
い私が存在していた事実。
その行の中、やはり全く唱える事のできない私‥‥「教典」の意味はほとんど
理解はできているのだが、同志皆、大きな声で唱え、心を見つめ合い、感じ合う
大きな大切が込められてもいるのだ。

行の終わりに『師』が語りだした‥‥ 「唱えられる者も、唱えられない者も、
文に込められた大切な精神の意味をもっと感じ入るように!」
 ‥‥ 私は自身に受け止めた。「初段黒帯を前にしたものが、小学生の低学年
でも唱えている鎮魂行の教典を唱えられなくてどうする! 技を高めて昇ってい
くことだけが少林寺拳法の教えではない! 甘えず、努力を怠るな!」と。
 反省の念、恥ずかしさをも抱いた。

2日前、その日からトイレの中、仕事場、車、に「教典」を置き、くり返し、
本気で覚え始めた。
物覚えの悪い私だ‥‥ なかなか覚えられない。「聖句」「誓願」「礼拝詞」ま
では何とか覚えたが「道願」がとても長い‥‥ あと半分だ。 
しかし、やり出せば、動き始めれば何とかして頂けるもの‥‥ 行動を直ぐさま
起こせるかどうかだ‥‥ 思った時に素直な心になれるかどうかだ‥‥
考えてみれば、何てことない苦にもならないことなんだが‥‥ そんなたわいも
ない些細なことが出来ない、悩み揺れている私、我々人間である。
『初生の赤子として、真純単一に〜」‥‥ 初心である。いつまでも、いかなる
時でも、忘れてはいけない大きな大切である。
我々が清澄しつつ成長していかなければ、『師』を汚す(けがす)ことにもなる
のだ。
自ら進んで励もう、『師』のためにも、皆のためも、そして自分のためにも。

しかし、それにしても物覚えが悪い私だ‥‥  まだまだ真剣味が足りないって
ことだろうか‥‥ まだ 痴呆ってことはないはずだが‥‥。


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