|
2006/08/08(火)
友人、K谷さん
|
|
|
絵の教室もにぎやかになってきた。 ひとりひとりに声かけ、ジックリと指導してまわるのも大変であるが、それぞ れ生徒さん達も頑張り努力し、お世辞抜きで素晴らしい内容の絵が描けるよう になってきた。 生徒さんの中に3人の子供さんをもつお父さん、K谷さんという方がいる。 この方 かなりの年下ではあるが、私の友人‥‥ ひいき目ではなくて、素敵な 絵画感性を持ち備えている。 私には見えているのだが、本人、自分の描く絵の 素晴らしさに気付けないでいる。いつもあれこれもがいている。 少々のメリハリ、濃淡、荒らしを入れてあげると、おもいきり絵の主題が飛び 出してくる。なんとも言えない魅力が現れてくる。 その、少々が見つけられない‥‥ 自分が懸命に、丁寧に、描き続けてきた絵を 叩き壊してしまうようで怖いらしい。無難に固まってしまう。
ここなのだ‥‥ ひとつのハードルを越えれる時、領域を上がれる時は。 自分の良質と思っている大切な部分を叩き壊してみる勇気が必要なのである。 全体を綺麗に、綺麗に、もっと綺麗にってし過ぎるから、美しさが消えていく のだ。 その綺麗に仕上げた中に、計画的なメリハリとなるルーズさ、汚しを 入れる。 それによって 狙いの美しさの部分、主題がより美しく見えてくるよ うになるという訳だが、下地的段階の美しさを全体全てに散りばめ仕上げよう とするから逆に深さ、味、小粋さがなくなるのだ。
K谷さんは、とっくに上手いと言われるレベルに域は達している。もう一歩なの だ。 きばり抜くのではなくて力を抜いてやること、美しさを浮き上がらせるた めの汚れを工夫すること。 K谷さんに そう告げると‥‥ 彼のキラキラ輝く瞳が何かを見つけたようだ‥‥ その純粋さ、私には分かる。彼はまもなく、とてつもなく素晴らしい絵を描き 始めるようになるだろう。楽しみである。
たかが絵、私が行なう小さな絵画教室だが、こういった奥深い真剣さのなかで 行なわれている。 真剣で純粋な人達ばかりが集っている。皆、驚くべきスピードで上達してゆく。 だからこそ、この教室から毎年、全国絵画大賞コンテストでの入賞者が出るの だ。 K谷さんも、もう既にその域に達している。もうひと頑張り、ファイト!である。
|
|
|