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2010/10/17(日)
色々新しい体験!
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昨日の午後、フルートソロ・リサイタルがあり、初めて、全曲演奏前にドイツ語で短い曲の説明を交えてやりました。今までも、一曲だけ説明、などはやった事ありましたが、今回は司会と演奏を自分で、ドイツ語で受け持ってみて、やはりドイツ語はとちりまくりました。でも、説明がないより、聴く側は全然助かったそうです。
演奏は、前半良い感じでしたが、後半、3歳ぐらいの子供が退屈してぐずったり、前に出てきて、「まだ終わらないの〜!」と言ったりして来て、どうしても集中力削がれました。
その子の親が帰ってから、周りはみな、「信じられない親だ。子供がぐずったら、他の人に迷惑にならないよう、止めるか、外に連れ出すべきなのに、子供だから当然だと思ってる!!」と憤慨してましたが、本人に言えないのは、ドイツ人も日本人も似てるのだな、、、と思いました。
後悔残る演奏になりましたが、仕方ありません。こういうのも運命、ですね。それでも、皆さん楽しんでいただけたようで、まあ、救いです。
今朝は、初めて、ドイツでのキリスト教の礼拝で、演奏しました。私は生まれがキリスト教で、子供の頃から日本の礼拝には出てましたが、ドイツのものは全然違いました。
日本の礼拝は、皆が何かを学びに来る、または神にお願いに来る、周りの人や牧師に相談事に来る、という雰囲気で、司会が「次は牧師先生のお話です。」「次は賛美歌の何番を歌います」などと入ると、皆がそのページを探して歌う、と言った感じでした。
ところが、ドイツのは、鐘の音の後、いきなり演奏で始まり、演奏が終わったとたん、牧師が間髪入れずにお話はじめ、その話の合間にも、間髪いれず、いきなり短い賛美歌が何度も入り、皆、暗譜でそれを歌い。。。と言うように、次々、間髪入れず新しいことをやっていて、全体が一つの出し物、と言う感じなのです。
その出し物を聴いてる人は?と言うと、神、なのでしょう。 日本の礼拝と全く違い、神に対する、日頃のお礼に出し物として楽しんでいただくのが礼拝、と言った感じなのにビックリ!祈りも、お願い事でなく、感謝の言葉がほとんど。
私は、間違いないタイミングで間髪入れずに演奏始められるか、かなり不安でしたが、オルガンのジョルダン氏が上手く合図してくれ、上手く行きました。
誰も、演奏者のほうを振り向く事もない。私の演奏も、ここに居る皆の為でなく、神に対して、と言う事なのだな、と察し、その気持ちで演奏してました。
ところが、最後の演奏終わると、とたんに皆笑顔でこちらに向かっていつまでもいつまでも拍手送ってくれ、「凄く美しかった〜!!」などどと感想言ってきていただけ、思いがけなく嬉しかったです。
その後、オーケストラで「カルメン」の本番。 後半から、どっと疲れが出ました。日本公演前から、ずっと駈けっ放しで休みがなかったけど、次は10月の終わりまではオケのみです。一気にドッと来た今、ちょっと休まなくちゃ、続かないな。。。
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