ドイツの空の音楽日記
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2010/10/06(水) 命がけ
まだ時差ぼけもフレッシュなうちに(?)先月終わりのフルートカルテット・ベルリン日本公演の模様を書いておきたいと思います。

まず、他のメンバー3人より1日早く帰国して、自宅で「この数時間しか、この曲合わせる時間がない!」と、時差ぼけをおして小倉さんと必死でデュオ(ヴィドール)合わせしてる時に、成田空港から電話が。

「チェロが酷い状態に壊れて届いた。すぐ代わりのチェロを用意してくれ。このチェロでは到底弾けない。」

・・・・・悪夢かと思いました。

すぐ光永さんに連絡し、代わりのチェロを探していただくようお願いし、私も心当たりを思ったけれど、とにかく曲を仕上げないと、この1時間に演奏会の成功も一部はかかってるんだから!!と、ぐらぐらする頭を必死で正してあわせ続行。

木下市議と共に3人で、ドイツからの3人を空港送迎し、このときには手早く、光永氏と木下氏で、途中の小倉でチェロを借りる手はずも整っていて、いざ宇部へ出発してる途中に、車がパンク!

チェロは、3つ選択があり、そのうちの一つが、イータイ(チェロ奏者)自身も、私が聴いても、一番良いと一致し、なんとかホッとしましたが、この日に予定してた、あわせるはずの時間はとうにすぎてしまい、宇部に着いて、少しウェーバーを合わせ始めたら、もう時間切れに。

それまでにも、なんやかんやとトラブルが多かった事から、(ヴァイオリンの突然のキャンセル、チケット売れてない事件、など)「呪われた公演なのかしら。。。」という想いも頭をよぎりましたが、「きっと最後には一番いいようになる!」と信じてました。一番の理由は、イータイのチェロがこの一年で凄く変わって、ベルリンでの公演で一緒に盛り上がれてた事です。

だからこそ、チェロの破損は尚更ショックでした。

公演が始まってからは、本番が一番よくまとまり、アンナさんに企画の仕方の下手さを長々詰られて、疲れ切ってた私、泣き崩れる、などの小さな出来事はありましたが、ここは光永氏夫妻の温かい支えに本当に助けられました。

そして、3日目を過ぎたとき、演奏会途中でヴィオラのアンナさん、突然不調をうったえ「10分休憩にして!」と。
2006年にもこう言う事があり、その時は私が15分ほどレイキ(ヒーラー)をやったらすぐ復活したのを思い出し、やるけど、全然駄目。そのうちに、イータイが「僕一人で弾こうか?」「お願い!私もすぐ行く!」

なんと官長さんもヒーラーが出来る方で、選手交代し、イータイと私で交代で急遽ソロ曲を演奏した後、フルートとチェロのデュオもやってみました。

我々は時々デュオのコンサートもやっているので、「何かの時にはデュオも用意しておこうか」と軽く言ってた事が幸いし、お互い少しずつ楽譜も持ってきていたのです。

ただ、この日はあまりに突然で、ちゃんと用意してなく、チェロは譜めくりが必要だったりし、「どうしよう。。。。」と言ってたら、「私がやりましょう!」と、なんと久保田市長に舞台に上がってやっていただける事に!この事でその場を大いに盛り上げていただけ、本当に感謝です!!

その後も、アンナさんは、本番出発の5分前ごとに、「やっぱり演奏できない」とキャンセル続け、結局残りの公演はすべてフルート・チェロのデュオになりました。

イータイの演奏は、チェロが借り物であることなどすっかり忘れさせる、素晴らしいものでした。他の奏者がブーブー文句ばかり言ってる間も、彼は黙々と練習し、急にデュオになったアクシデントにも全力で取り組み、コンサートを盛り上げることに集中してくれてました。

実は、この秋までの一年半は、私は彼の事を、人間的にはほとんど信頼出来なくなっていました。しかし、イータイの音楽が深い、心からの物に変わっていってた事、二人で真摯にデュオで盛り上げた事で、この短期間でそんな不信は忘れ、むしろ、かけがえの無い存在に変わったと思います。

演奏家はその場での演奏がすべて。その場で素晴らしい演奏してくれるなら他の事はすべて許せるし、どんなに素晴らしい才能持っていても、その場で演奏してくれないなら意味が無い。。。

人間的にも音楽的にも絶対の信頼を持っていた人への大きな失望と引き換えに、「音楽のために命をかけてる同士」を与えられた気分でした。

デュオとしては3回目の病院公演から調子が出て、準備出来ていないながら、イータイとの音楽のやり取りは、昨年ちゃんと準備していたデュオよりずっと深い、息の合ったものになってる実感がありました。イータイが変わった為でもあり、彼の音楽への真摯な態度から、私の、彼への不信感が取れていったせいもあるかもしれません。

9月30日、市役所での、最後の公演が終わった時には本当にホッとしました。

アクシデント続きだった公演中、木下市議には全力で皆が笑顔になれるよう寝ずの努力していただき、光永社長には音楽家への深い理解で支えていただいていました。お別れ会では、実行委員会の皆さんが、どんな思いでチケット一枚一枚売ってくださったのかお話きけて、涙が出そうでした。

そんなことも、イータイはしっかり心に受け止めた様子で、信頼してたAさんは、「私には関係ない」。


うん、私が、人を見る目がなかったですよ。。。

クリストフがチェロの壊れた話を聞いて、
「僕だったら、壊れてた時点ですぐドイツに帰った。」と言いました。

その瞬間も冷静に、「代わりを探してくれ」と言えた、前を向いて、何とか演奏しようとしてくれたイータイは真に一流です。


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