ドイツの空の音楽日記
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2006/11/10(金) パニックの本番
昨日はオペラ”トスカ”の本番でした。
指揮者が違った音響効果の為、木管楽器は場所が変わって、弦楽器の後ろの数段低い席に移っていました。

ところが、本番始まってすぐ、私は半分パニックになりました。
私が座ったところからは指揮が全く見えなかったのです。
車の前方窓が見えない状態で運転する感覚です。

今まで全く指揮が見えない、と言う事を経験した事がありませんでしたが、周りの音に合わせようにも、木管全員の立ち上がりがバラバラになっていました。皆、見えなかったようです。

やっと休憩時間、木管の連中はやはり皆”指揮が見えない!周りの音が聞こえない!”と言っていました。
その中でも、私は特に、たまに大きな人だと挨拶しても気付かれない事があるくらい小さいですから、一番見えなかったと思います。

来週のコンサートの遠出届けを出しに事務室に向かっていたら、ばったり指揮者のコーティー氏と会いました。
指揮が見えないパニック状態の私はすぐ”コーティさん、私達あなたの指揮が全然見えなくて困ってます!”と訴えてしまいました。
コーティ氏は”僕も気付いた。木管の音響を変えてみたかったんだが、指揮が見えなくなる、と言う事を計算してなかった。今日はもうこれで行くしかないが、明日からまた戻すから。”
と言ってくれました。

まるで私が木管代表して訴えに行ったみたいになってしまい、他の木管の仲間に”君が行ってくれたのか!”とびっくりされました。

何かあればオーケストラの親身になって聞いてくれるコーティ氏の人間性がありがたかったです。

2006/11/09(木) 時々覗ける暗い深淵
モーツァルトの曲は圧倒的に長調が多いですが、短調の作品はモーツァルトの裏の面を知る鍵になりそうです。

今やってる”レクイエム”は特に謎に包まれた作品ですが、例えばピアノ曲でも、”幻想曲”と名づけられたニ短調KV 397やハ短調KV 475は特異です。
他の軽やかで明るいソナタとは打って変わって、ぞっとさせるような沈んだ不気味なコードで始まります。
形式も全く自由で、当時の人々にはショックを与えるようなものではなかったか、と思います。

これらの作品は、多分、モーツァルトが自分の為にひっそりと別の本音を記したのでは、と思えます。
モーツァルトと言えば明るくて無邪気で、というイメージですが、人生の暗い深淵も抱えていたからこそ、明るい美しい面がかえって涙が出るほど輝いているのかもしれません。

この劇的な”レクイエム”とほとんど同時にあの楽しい”魔笛”のオペラも書いていたのですから、、、。


(写真はオーケストラ練習の休憩時間に。本文とはもちろん関係ありません。)

2006/11/08(水) 34歳の死 ”恐るべき威力の王”
モーツァルトの”レクイエム”が今週の中心練習になってる曲です。胸が痛む、どうにも切ないこの曲はモーツァルトの中では異質です。
モーツァルトはこのレクイエムを作曲中に亡くなってしまったので、まるで、自分の死の準備にレクイエム(鎮魂曲)をつくったようになってしまいました。

水道からあふれる水のように尽きない才能の持ち主のモーツァルトの曲は、すべて輝きと余裕にも満ちています。ところが、唯一余裕がない、焦燥している様子が伝わるのがこの曲です。
どうも、モーツァルトの耳にはひしひしと迫ってくる”死”の足音がこのように聞こえていたんでは、と思えます。
希望をなくしてすすり泣くような木管のつぶやきから始まり、何かが追いかけてくる様子が続きます。

曲の中でのやりとりも、まるで、頑として”死”の刻印を押す神
(モーツアルトは”恐るべき威力の王”と章名に書いています。)に向かって、
子供のように無力のモーツァルトが泣く泣く許しをこうているように聴こえます。

”死”を悟って、その死そのものを書き付けた、魂の証明がこの”レクイエム”なのでしょう。
しかも、その死を悟ったのが、突然なのでは、と思えます。

”涙の日(ラクリモーザ)”という楽章の始まりで、和声が下から頂点に達したところで、モーツァルトは息絶えました。(ラクリモーザからの続きは弟子達がモーツァルト死後に仕上げた物です)
そこまで、だんだん魂が地上から離れているのでは、という感覚の音になっていきますが、救い、とか、諦め、の色は最後までないのが気になります。

一体モーツアルトはどんな死に方をしたのでしょう?
”医者のミス”とか”毒殺”とか、貧乏だったから衰弱死、とか、色々言われていますが、、、。
34歳で、まだまだこれからと言う時、本人にとっても予想外の死だったのでは?とおもわせられるのが、
この遺作”レクイエム”です。

2006/11/06(月) 秋の突風
11月に入って毎日のように凄い突風が吹いてます。
急に寒くなるせいだそうです。
自転車通勤してるといきなり横倒しされそうになったりしてスリル満点です。

やっと今週からモーツァルト中心の練習プログラムになり、ほっとしています。

昨日が”タンホイザー”の初本番でしたが、本番は自然に皆がやる気に満ちて演奏するし、盛り上がって、拍手も止まりませんでした。

2006/11/04(土) ファンタジア1940
”タンホイザー”威力に負けたくなくて、合間に自分のリサイタルの曲を練習しているんですが、なんだか無感覚になってて、ちゃんと効果あるんだかわかりません、、。

昨夜は、帰ってきてからディズニーの昔の映画をDVDで見て、気を取り直してました。
”ファンタジア”は1940年の物でも、かえって現代より想像力豊かで夢があってとても気に入りました。
クラシック音楽にアニメーションつけてるのですが、その動き一つ一つ、とても心込めて描いてあって、優しさに満ちてます。
また、選曲もいい。

ストラヴィンスキーの”春の祭典”なんて、作曲されたばかりで、作曲家の間でも賛否極端に分かれていたのに、ディズニーはすぐ良さを見つけて作品に取り入れちゃったんだから、多方面の凄い感性のアンテナを持っていたんですね。

2006/11/03(金) 今週はワーグナー攻撃
昨日は午後から夜中までまたワーグナーの練習でしたが、このタンホイザーのような金管楽器がガーガー鳴りっぱなしで、常に分厚い音響のなかに5,6、時間いるだけで、体力も気力も消耗してしまいます。
その後、耳もじんじんして、頭はもやに包まれたままです。
クリストフも、一晩中頭痛で大変だったそう。

日曜にワーグナーの最初の本番ですが、この練習が毎日続くと、本番までに何をする力もなくなりそうです、、、。

本来芸術も音楽も心豊かにしてくれるはずのものですが、
よく気違いめいた大物(ヒットラーとかルードイッヒとか)に愛されるこのワーグナーは、どうも反対の効果を生み出しているように思えます。

この”タンホイザー”責めになって、オーケストラ団員皆機嫌の悪い事!
モーツァルト等のさわやかな曲の時は皆の顔も心なし明るくなるので、やはり曲によって魂清めるものと重くするものとあるようです。

2006/11/02(木) リポビタンD
11月に入って、急に寒くなりました。
もう、ドイツのあちこちで雪も降った模様です。
テレビのニュースで、”今シーズンはじめの大雪カタストロフ”
と言ってるのを聞いて、
”昔は冬と言われていたが、今は大雪カタストロフと言う”
を思い出しておかしくなりました。

昨日は一日舞台用メルヒェンのバックミュージック録音でした。

今週大変だから、本当はこの日休みだったはずのところ、急にまた仕事が増え、
疲れてるオーケストラの団員は機嫌悪くて、ぴりぴりしてました。
録音だと、誰か一人入りが遅れたり間違えてもやり直しなので、、。

皆が、”あの日本語、なんなんだ?”と訊くので見てみると、
なぜか、そのメルヒェン作曲家のセーターに日本語で
”リポビタンD"と書かれていました。

2006/11/01(水) チャイコフスキー”オネーギン”
昨夜はチャイコフスキーの”エフゲニー・オネーギン”のオペラ本番でした。

”オネーギン”はプーシキンの小節ですが、私はオペラを知る前にこの小節を読んで、”小節として面白いけど、オペラの題材にむいてるのかな??”と思ってました。
悲劇か喜劇が多いオペラ、オネーギンはどっちでもなく、”昔ふった女が気がついてみるとなんと立派な人妻になってて、残念”と言うような内容だからです。

だけど、さすが同じ国の芸術家、ロシアの土地での木枯らしを想わせる庭のシーンの音楽で始まり、お話がどうのこうの言うよりも、その場その場でジーンと聴かせてくれる音楽をつけています。

それでも、チャイコフスキーの本領は、やはり交響曲やバレー音楽にあるように思います。
交響曲4番の、最初から最後まで息尽かさない流れ、くるみ割り人形や眠りの森の美女の、誰をも夢に世界に引き込むようなものが、チャイコフスキーでは特に私の好きな世界です。


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