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2014/01/17(金)
ラストサムライ死す
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小野田寛郎さん死去 91歳 30年間比ルバング島潜伏した元陸軍少尉
戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間潜伏を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後、肺炎のため都内の病院で死去していたことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
関係者らによると体調を崩して6日から入院していたという。
小野田さんは1922年、和歌山県亀川村(現海南市)生まれ。商社員として中国へ赴いた後、42年に和歌山歩兵第61連隊に入隊した。陸軍中野学校二俣分校でゲリラ戦の特殊訓練を受け、44年にフィリピンのルバング島に派遣された。その後、30年間も終戦を知らされずに任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続け、74年、捜索活動によって救出され、日本に帰国した。
救出の翌75年にブラジルへ渡り、牧場を経営。84年にはキャンプを通して「たくましい青少年を育成しよう」と、「小野田自然塾」を開講。96年には22年ぶりにフィリピンを訪問していた。
『戦った、生きた、ルバン島30年』など著書多数で、『だから日本人よ、靖国へ行こう』の共著もある
『小野田さんの言葉』
『私は戦場での三十年、生きる意味を真剣に考えた。
戦前、人々は命を惜しむなを教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった。
覚悟しないで生きられる時代は、いい時代である。
だが、死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか。』
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