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2006/05/03(水)
囲碁界とプロ棋士3
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前回は棋院創立までの話しでした。当初は今の様に棋戦がなく、大手合という、昇段の為の対局がメインでした。当時は今よりも段位の権威があり、この対局に心血を注いでいました。因みにこの制度で初めて九段になったのは、藤澤朋斎(庫之介、故人)九段で僕のいとこにあたりますが、父方(藤澤秀行)の家系が豪快なので、いとことはいえ、僕よりも50歳くらい上でした。現在、現役に親族の九段がいますが、知っている方は相当なマニアです。話しがそれましたが、今の様なタイトル戦は本因坊戦が最初で、本因坊家の最後の当主、秀哉名人から名跡を譲り受けて実現しました。この時行なわれた引退碁の模様は川端康成の「名人」に詳しく書かれて(当時、観戦記は作家、しかも大物の方が書いていました)います。またまた余談ですが、先日上海に依田碁聖と行った時に、ホテルのラウンジで歌っていたアメリカ人の歌手に囲碁のプロだと言ったら、片言の日本語で「自分は川端のファンで名人を読んだから、知っている」と言われ驚いた事がありました。
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