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2006/04/23(日)
囲碁界とプロ棋士2
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今日は、前回から時代を一気に飛ばします。現在は、財団法人日本棋院を中心として、全国に千ヶ所近い支部があり、プロ棋戦、アマチュアの大会等、行なわれていますが、創立80年を越えたばかりで、それ以前は中央団体ではなく、家元制度で競い合っていました。家元制度が確立したのは、江戸時代、二代将軍秀忠の時代と言われています。その後、囲碁界を束ねる碁所(ごどころ)という地位が幕府から与えられ、この座を巡って家元同士(主に四家、本因坊、井上、安井、林)が争う事になります。本因坊家の初代は算砂で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、に仕えたといわれています。(碁打ちは親の死に目に会えない)というのは、(囲碁好きは、親が危篤でも碁に夢中で帰って来ない)という説がありますが、これは間違いで、当時、家元は一年に一度将軍の御前で対局する事が義務付けられていて、時間制限が無い為何日もかかる事が有りました。この間下城する事が出来ない為、親の死に目に会えなかったのです。尚、この御前試合の棋譜は今でも「御城碁譜」として現存しています。江戸時代には、大名、商家、等有力者の支援を受けていた囲碁界も明治維新とともに状況が激変し、多くの先人の苦労の末、日本棋院が設立される訳ですが、明治維新から約60年後の事。この時、大倉財閥(大成建設、ホテルオークラ等)二代目喜七郎氏を中心とした多くの囲碁愛好家の尽力により囲碁界がまとまる事ができました。今でも普及に功績のあった方に大倉賞が贈られ、棋院創立者の名前を今に伝えています。
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