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2024/03/26(火)
お世話になりました。
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若江です。
まずは6年間お世話になりました。
院に進んでからはほぼ部活に行っていなかったですが、たまに練習行ったときや試合のときは温かく迎えていただきありがとうございました。
最後の年に関カレ一部昇格、丹後シード権獲得を達成できるなんてここ最近で一番幸せな院生なんじゃないでしょうか。
いい思いさせてもらってありがとうございます。
簡単に6年間を振り返ってみます。
1年のときはちょっと競歩ができるだけの選手で、関カレは10000mW9人中9位と情けない結果で丹後も8番手でなんとかメンバー入りしたくらいでした。
たいして何も考えず立ててもらった練習をこなしていただけだったように思います。
2年のときも関カレは競歩しか出れずオープンになったのでチームに点数で貢献できませんでした。
秋頃からは走りの調子が急上昇し、丹後前に31分台、12月には30分台に突入しました。
丹後もエース区間のひとつである6区を走りましたがまだまだ力不足でした。
3年はコロナで関カレハーフは中止、秋に延期したT&Fでは10000m9位、3000mSCDNF、10000mW4位で初めて点を取れました。
走りのほうは調子が上がりきらず、丹後でもいい走りはできなかったように思います。
なにより10秒差でシード権を逃した一番悔しい駅伝でした。
4年はハーフ4位、秋のT&Fは10000m9位、3000mSC7位。
夏頃は研究や院試で悩み、1ヶ月弱陸上から離れてました。
陸上はやめようと思いましたが、先生や友達に相談にのってもらいなんとか回復し、続ける決心をしました。
夏から丹後までは死ぬ気で練習して当日はベストな状態で走れましたが、シード権には届きませんでした。
M1は5000m、10000m、3000mSC、ハーフに出場して無得点。
ハーフは走りきることすらできず申し訳なかったです。
院に進んでからは研究との両立が難しく、精神的にもしんどく練習もほとんどできていなかったので、このあたりは本気で陸上やめようと思っていました。
関カレも丹後も目標を達成できずにやめれば今まで陸上を続けてきた意味がなくなると思い、なんとか踏みとどまりました。
ただ、丹後でも万全な状態では臨めず申し訳なかったです。
M2はハーフ5位、10000m5位、3000mSC2位と三種目で入賞、関カレ一部昇格達成、丹後でも最高の状態で走ることができ8位シード権獲得。
ようやく研究との両立ができるようになりました。
両立というよりは自分の容量を把握してうまく分配できるようになったというほうが近いかもしれないです。
すべてを満足にできることはおそらくないと思うので、厳しいときは必要最低限こなして今やるべきことに重点を置くことが大切だと感じました。
関カレ、丹後メインで振り返ってみましたが、その2つの結果でその時の状態、状況がある程度分かる気がします。
研究室に入ってからは大変なことばかりでしたが、最後の最後に目標達成できて報われた気持ちです。
6年間で先輩、同期、後輩、他大の知り合いなど陸上を通して多くの人にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
後輩やこれから部員に新入生に向けて伝えたいこととしては、協力しながら助け合って目標達成に向かってほしいと思います。
協力というのは馴れ合いではなく時に厳しく、単に頼るのではなく頼り合えるような集団を目指してもらいたいです。
これからの神戸大学陸上競技部の活躍を楽しみにしています。
終わります。
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