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2024/02/17(土)
好きなことをしよう
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こちらはわたくし山口が齢21にして得た人生の教訓でございます
走るのがひたすら楽しかったこの3年間で気づいてしまったのは、卓球好きじゃなかったんやってことです 辛すぎワロタ
人に陸上のこと沢山聞いたりしたいし、試合見るのもめっちゃ楽しいし、陸上してる人とならどんどん関わっていきたいなって思います これが卓球の場合皆無でした
練習量でいうと、学校→部活→クラブチームの日々でなかなか頑張ってましたが、上には上がいてきつすぎたとは全然言えないんですけど、とにかくメンタルが逝ってました 好きでもないことを10年も続けたのは本当にがんばったなと思います
途中で諦めてやめるっていう勇気が出なくてずっとやってましたが、今考えたら10年中少なくとも8年は全然楽しくなかったですね
マンツーマンでコーチに教えて貰ってて、試合でも誰にも口聞かなかったので卓球友達はずっとZEROでした 天真爛漫だったあやこちゃんはこうして感情を失っていくのでした……
練習相手がいなかったので毎日学校終わりに色んなところに連れていかれました。
1番地獄だったのは、 意味わからんぐらいレベル高い大っきい男ばっかりの練習会に行かされてた時期です
体育館の隅っこで隠れて時が経つのを待っていたら怒られて、半泣きで相手を探して試合お願いして、若干嫌な顔されて、ボロ負けして、アドバイス聞いてこいって言われて聞きに行って、トイレで泣いて、やっと終わったと思ったら帰りの車でまた怒られて、目パンパンで次の日学校行くというものでした……これが毎週あったんですね……
これがもし卓球好きな人の場合、レベルの高い環境で練習できる夢みたいな状況だと思うし、めっちゃ嫌そうな顔した弱いやつに試合申し込まれても向こうが困るのは当然なので、 なぜかがんばるって言っちゃった自分の責任です さっきから行かされてるとか連れてかれるとか言ってますが、行く?って聞かれて頷いたのは自分
そんな感じで、恐ろしいほどの時間とお金を費やしながらも結果を出せず、それがもったいなすぎて親にはがんばるって言い続けてやめ時を見失ってたら8年たってました 親には申し訳なかったです
もはや楽しくなさすぎて勝っても嬉しいのかわかんないっていうレベルでした
それが卓球人生ラスト2年(高校1.2)で、初めて卓球楽しいと思えるようになりました 公立高校でしたが、そこそこレベル高い選手が集まって、団体戦で戦えるようになって、卓球で勝つことの喜びを知れました
引退の時、中高になってからお世話になったコーチに、高校入るまではセンスあるのにずっと苦しそうに卓球してたけど、高校入ってからの頑張りには感動したしだから教えたいと思ったみたいなことを言われて、それが全てだなと思いました
団体戦で勝つために自分が勝ちたいっていう気持ちが芽生えてから、 めちゃくちゃ勝てるようになって、国体とインターハイにも出れて、おめでとうを沢山貰って、今までの頑張りが少し報われた気がしました(少しね) 国体のチームメイトが、今でも遊ぶ唯一の卓球の友達です。実業団選手になるらしいです。すごスギィ
結局コロナのせいで気持ち悪い引退の仕方になって最悪でしたが、何とか10年の努力を無駄にせずに終われて良かったです
でも人生もう1回やり直せるとしても、絶対卓球はしない!
大学に入って、学生生活最後やりたいこと全部やろうつて決めてて、うまく自分を甘やかすことができるようになってきました 甘やかすというか、自分の機嫌を取るというか…
それが自分をだめにすると思ってましたが、案外なんとかなるというかむしろ色々うまくいくってことにも気づきました まあ大学生でやらなあかんこと少ないから出来たことではありますが
自分の気持ちを大事に生きていきたいですな
思い出してなさすぎて、最近、卓球の記憶がどんどん無くなってきていることに気づいたので、記憶から消え去る前に、と思って書いてみましたが、やっぱりそんなにいい思い出なくてぴえん
ぴえんすぎて適当に締めてたけど、ちゃんと締めたいので追記 のりおには読まれてしまった模様
今は、周りはどう思ってるか分かりませんが、身も心も完全に陸上選手になりました。 感情も取り戻しました とりあえずめちゃくちゃ幸せです
もちろん、陸上界も別のところでは私が知り得ないようなこと色々あると思うので、 この神戸大学陸上部ロングパートという環境で陸上ができているということが、自分にとってめちゃくちゃ合ってたんだろうなと思います
好き。感謝。Forever
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