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2021/11/28(日)
3500文字と勘違いしてたので続きは過去に、詳細は岩佐まで。
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こんにちは。最後になりました。M2の平井です。
駅伝の振り返りですね。8区を走らせていただきました。
今年も例年通り研究室が終わってから、みんなとは別に丹後に向かいました。
ただし、今年は岩佐が車で送ってくれました。うれしい。
2年前バスと電車で向かった時は福知山で1時間近く待たされましたし、タクシーも捕まらず宿舎まで4 km近く荷物持った状態でジョグしました。その結果到着は22時近くでした。
一方今年は、20時には宿舎につき、22時過ぎに就寝しました。 宿舎は恒例のシャワーが激弱な坂本屋。まったく不満なんかありませんよ。ええ。
当日は7時くらいまで寝るつもりが4時前に目が覚めました。そこから3時間、目をつぶっていましたが、緊張で寝ることはできませんでした。どうもM2です。
さて、待機場所。繰り上げスタートは確定していた上に、応援がなかったので最後まで実際の順位とタイム差がわからない状態でした。
走り出す直前に電話で佐々木に聞いた感じでは、同志社、佛教と30秒から1分開いており、そこを抜かないとシードは厳しそうとのことでした。
正直、きつかったです。去年、今年はコロナのせいで10000 mの記録会が少なかった中で32分台前半の選手ばかりでした。僕が京阪神で33分ちょっとだったので、同志社、佛教、龍谷、大体大、近大の選手とよくてトントンだと思っていました。
で、なんやかんやスタート。
はじめの1kmは焦っても仕方ないので3’05”で繰り上げの先頭集団の中後方でスタートしました。
2 km手前から天橋立の入り口まで直線なんですが、爆風の向かい風でした。
飛ばさないといけないのはわかっていましたが、ここで体力使ったら最後までもたないと思ったので集団につきました。この間3’10” – 3’15” /kmくらい。
で、天橋立入って、ペースが3’20” /km近くまで落ちました。ここで、仕掛けました。集団から飛び出しましたが結局差をつけることかなわず力を使ってしまいました。仕掛ける前に同志社と佛教の選手が余裕そうだったので追いつかれても動揺はそこまでなく、集団に飲まれてからもとりあえずは粘れました。
そのまま天橋立抜けたポイントで同志社、佛教の選手に仕掛けられ最後の3 kmで20秒離されてゴール。
終わってみたら区間11位で、よくてトントンと思っていた同志社、佛教、龍谷、大体大、近大の中で4位だったので良くも悪くも予想通りでした。
天橋立で力を使わなければ、最後同志社と佛教について行けたかもしれませんが、あそこで飛ばさないという選択肢はなかったですし、20秒速くてもシード権はとれていなかったのでレース展開自体に後悔はありません。
ただ、佐久間、若江、田上と上級生が予想以上の走りしてくれた中で、僕だけそこそこで申し訳ない気持ちはあります。 まあ、本人たちは予想以上でもなんでもなくねらっていたタイムだと思いますが。
最終学年としてシード権とり切りたかったです。すまんかった。
個人の振り返り終わり。
次に全体の感想について。
駅伝が始まる前は、全員が実力さえ出し切れば十分に勝負できるチームだと思っていました。 6年間駅伝走らせてもらった中でもかなりわくわくしたチームでした。
当日は実力を発揮できなかった選手もいましたが、予想以上の走りをした上級生の走りには感動しました。
僕以外の上級生の活躍がなければ例年なら確実に終戦していたと思います。その中で最後までもしかしたらと思えるレースができたことはよかったです。もちろんここで満足してはいけませんが、僕は挽回のチャンスがないのでこれで満足することにします。
シード権こそ取れませんでしたが、最後にわくわくするレースを走らせてもらってチームのみんなには感謝感謝です。
僕は心が狭いので、僕がいない状態でシード獲られたら悔しいです。なので心から100%応援することはできませんが、来年以降頑張ってください。
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