神戸ろんぐ日記
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2020/05/11(月) 好きな数字は・・・
 2 です!

おはこんにちばんは。(もう馴染んできた!)

どうも、たがみです。

今回は割と真面目に書いたので面白くはないですが、読んでくれると嬉しいです。



タイトル、突然なんや?と思ったでしょう。

小さいときから好きな数字でした。

理由は、数字の"2"は"1"の次。(当たり前)

"1"から連想するのは、1位や1番、野球でいったらエースとかかな。

序列で考えたら1番上ということで"長"。

こう考えると、"2"というのはサブポジション、つまり副~っていうのが当てはまります。

"1"だと目立つし、みんなを引っ張っていく資質が求められるけど、逆に"2"はサブポジションなので目立たないし、プレッシャーも背負わなくていいし楽です。

縛られることがないので、気にせず周りのことを俯瞰できる、そんなサブポジションが昔から好きでした。

そんな連想から"2"が好きです
(答えになってるかな?)

高校でも長距離パートでは"2"のような役割に徹し、陰から"長"を支える役が1番自分に合っていました。

単純に心地よかったんです。

そして今回、代替わりで長距離パート長を務めることになりました。

パート長になるということは"1"です。

当然目立つし、プレッシャーもたくさんあります。

今までのパート長の背中を見てきたからこそ自分に務まるのかずっと悩み続けるでしょう。

でもずっと弱音も言ってられません。

"1"であるからにして結果も当然出さなくては!

僕が目指す"長"の理想像は、"1"と"2"の両方を兼ね備えた人物です。

つまりみんなをリードしつつ、チームを外から俯瞰的に見てサポートできる、チーム全体の成長を見守ることができる人です。

頼りない所もあるかと思いますが、1年間よろしくお願いします。



まだ話はちょいと続きますが、ここからは個人的な思いを綴るので、不快に感じたら読むのをやめてください。



コロナ禍で関カレが延期になったために、引退を余儀なくされた方がいらっしゃるでしょう。

やりきれない思い、悔しさでいっぱいだと思います。

現状と比べるには到底無理がありますが、僕も似たような経験があります。

それは高3時の駅伝大会です。

駅伝は10月からで、みんなが総体で引退する中その後も競技を続けるのがちょっとした伝統になっていました。

僕も迷うことなく、競技続行。

僕のいた地区は、地区駅伝→県駅伝→近畿駅伝とコマをすすめるシステムでした。

県駅伝出場は約13年連続と続いていたので県へは当然行けるという気持ちがありました。

またその年は思えば強い世代で、もしかしたら近畿へ行けるかもというところまで成長しました。

そんな淡い期待を抱きながら迎えた地区駅伝。

心のどこかに当然県へ、あわよくば近畿へ行けるというおごりがあったのでしょうか、神様は僕らに罰を与えました。


地区駅伝失格。

夢もろとも潰えた。

結果を残せず終わった。



顧問にかけられた「連れて行ってやれずごめんな」という言葉。

そこで我慢の糸が切れ、おそらく初めて人目も気にせず泣き叫びました。

当然思いました、ここまで続けてきた意味はなんだったんだろう?

後輩に言われた、「先輩の分も頑張ります」

いや、違う。それは俺らが成し遂げたかったことや。代わりはない。

その時は何も考えられませんでした。

県駅伝より一足先に迎えた尼崎での引退試合、結局ベスト出せないまま不完全燃焼で終了。

県駅伝当日は女子の応援。ほんとは一緒に走ってたんだろうな、走ってたら近畿行けたのかなとかいろんなことが頭によぎる。

後輩のミスを責めることもできず、もっていき場のない怒りや悔しさで頭がいっぱいになり、切り替えられないまま時間ばかりが過ぎていきました。

こんな形で陸上人生終わらせるのは嫌や。

この思い、つまり駅伝で借りを返したい、僕が大学で陸上を続ける原点です。

当時一緒にやっていた同期ともきちんと話せないまま整理がつかず、時は流れ大学2回生の秋。

京阪神飲み会で偶然その同期の1人、そして1つ下の当時ロングキャプテンとその話になりました。

あの時話せなかった本音、もっと速く走れていたら、ちゃんとコースを伝えていれば。

当時話せていたらきっと今まで持ち越さなかっただろうなと思うほど、3人でみっともなく泣きました。
(あの時は心配かけてすみません)

きっとお酒のせい...

時が傷を癒やすにはまだまだ時間はかかります。

今でも書きながら泣きそうになってる。

結果は残せなかったけど、それまで本気で頑張ってきたことは嘘じゃない。心の中でそう思ってきたことが、仲間との本音トークで確信へと変わりました。

あの日々は僕にとって宝物。

そう思えたのは、やっぱり本気で頑張ってきた仲間と本音で語り合えたからです。

自分一人じゃ溜め込んでしまう、誰かに聞いてほしい。

現状に対するやりきれない思いが心のどこかにあるなら、僕は聞きます。教えてほしいです。

かと言って打開する答えを出してあげることはできませんが。

もちろん陸上に対する思いでもいいです。

無理にとは言いません。さらけ出すのはちょっぴり恥ずかしいですから。

以心伝心という言葉はあっても、話してくれないと人の本音なんてわからないと僕は思います。

こんなこと、いつもなら言わないことです。きっと皆さんに会えないのが寂しいんでしょうね。


今日はこの辺で、さようなら


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