神戸ろんぐ日記
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2020/11/14(土) とりあえず
佐久間です。

1区 佐久間 28'11" (9.0km) 区間5位
2区 平井 26'33" (7.7km) 区間13位
3区 篠原 20'47" (7.0km) 区間8位
4区 矢田 32'52" (9.8km) 区間12位
5区 若江 38'18"(12.3km) 区間11位
6区 佐々木 43'59"(13.3km) 区間12位
7区 松井 40'52"(12.5km) 区間12位
総合 3:51:32 11位

お疲れさまでした。今年の神戸がkゲホッゲホッ

まじめにやります。


まずは応援・サポート・補助員・大会運営等有難うございました。
一回一回の大会を開催することすら難しい一年の中で、自分の中で一つ目標としていた大会に臨むことができたことの有難さをひしひしと感じています。
一つ一つの機会を大切にすることを改めて胸に刻もうと思います。
今後も試行錯誤は続くと思いますし、元通りになることは当分の間はないでしょうが、その中で皆でできることをコツコツと取り組んでいきましょう。


結果は11位と目標としていたシード権を逃し、言葉では言い表せないほど悔しいです。

目標がシード権ということは毎年恒例ですが、今年については僕含めロング(願わくば部員)全員が十分に実現可能だと信じていたと思います。
それに、そのことに対する慢心も一切ない状態で臨むことができていました。
ですから、これだけの状態で臨んだこの大会で今年もシード権に届かなかったことは率直に信じられていません。
最後のゴールの場面のを見ていた時の感情を忘れることはないでしょう。



ただ、いい駅伝ができてよかった!という思いの方が個人的には大きいです。


僕が一回生の時にシード権は取ったものの、それは色々な偶然や幸運が重なって転がり込んできたものです。
結果的にいい思いはできましたが、事前の下馬評は決して高いものではなく、自分たちの実力で勝ち取った結果とは恐れ多くて言えません。
さらに、後輩がチームに加わり始めてからは10位のラインをはるか後方から眺め続けることしかできず、悔しいという感情すらありませんでした。
しかもチームとしての力をほぼ発揮したうえでの結果ですからなおさらです。

ですから、今年はいける!という確信を持てるチームに加わることができた時点で十分に嬉しかったというのが本音です。
その上で一人一人が立派に走り切り、望んでいたものではないにせよ心の底から悔しいと思える結果をチームとして残せたことは誇りに思います。
自分がそれに少しでも貢献できていると思ってくれる人がいるのであれば、それだけで十分にこれまでの僕の頑張りは報われます。
これまで決して届くことの無かった相手とがっぷり四つに戦い、これでだめならしょうがないと思うほどにやりきれました。
一緒にここまで取り組んでこれた皆には感謝してもしきれません。

それでも、もしあれがこうだったらと思いを巡らせる点は多々あります。

もし例年通り8区間での駅伝ができていたら。
もし繰り上げの時間があと5分遅かったら。
もし応援の人がいて状況を教えてもらえていたら。
もし自分と誰かであと10秒削れていたら。
もし自分があの時もっと積極的になれていたら。

もちろん、すべてが終わったからこそ言えることではあります。

それに、自分に関してはコロナ禍の影響で病院実習の規模が大きく縮小するという偶然があって初めてここまでやってこれました。
運に見放されたように感じるとしても、実は気づかないうちに様々な幸運があってここまでこれたのかもしれません。
その上で、レースの中で他大に少しだけツキがあり、こちらに少しだけツキがなかったのでしょう。
70キロ走って10秒差とはそのくらいの差だと思います。



特殊な状況の中で、練習の傍ら申し込みのやり取りや試走の準備もしてくれた三回生と二回生には特に感謝しています。
レースには一人しか走れませんでしたが、駅伝としては幹部として立派な働きをしてくれていました。
今年、シーズンを通して活躍してくれた一回生とともに、来年以降は実際のレースも存分に味わってほしいです。



今年の四回生に最後にいい思いをさせてあげられなかったのが一番の心残りです。
あの時の駅伝に始まり、これまでチームの柱となって頑張っていてくれました。
いつかのどこかの駅伝後の飲み会で、松井かふとしかその両方か(矢田ではなかった笑)が、シードを取ってみたい!、と言っていて、いい思いをさせてもらった身としてそれを叶えてあげたかった。
一年時に関西インカレの代表に選んでくれた先輩や同期の期待に応えることなくそのほとんどを送り出してしまった身として、後輩という違う形であってもそれを少しでも還元したかった。
それでも、これまで駅伝での喜びも悲しみも味わわせてあげられなかった学年に、最後の最後ですが意味のあると思える経験をさせてあげられたのは最低限の贈り物です。
駅伝の結果として借りを返すことはできないかもしれませんが、大学生活の思い出の一つとしてもらってください。



来年、僕は部活には所属しますがおそらく駅伝には出ないでしょう。
僕が望む形での実習があれば今年ほどの練習はできないでしょうし、駅伝の時期に卒業試験も控えています。(おそらく例のあの人も受けたのでしょう。お疲れ様でした。)
それを押しのけてまで駅伝を目指すのは、あくまで学業が最優先として入学した僕としては本意ではありません。
ただ、練習に参加するなどの形で自分の抜ける穴を自分でも埋めるべく頑張ります。
来年の参加権獲得という宿題ももらったので、万が一の時に申請できるよう10000の記録も残しておいてあげたいです。
使わないにこしたことはないんですが笑

また来年もいい駅伝をするべく前を向いていきましょう。

おしまい


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