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2019/12/15(日)
ハワイアンbro
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「この場所に神殿を建てよう」 (第7部 ヴァレンタイン大統領)
人生初海外とマラソンを経て、一回り大きくなって帰ってきました、
が
疲労と時差のせいで一回り小さくなっている、
一回の岡田です。二週間ぶりですね!
せっかく一週間も休みを貰ってハワイに行ってきたので、この場でその報告?的なことを、、、、
まず人生初マラソンなんですが、
いや、これぞ”the ビギナーランナー“!みたいな、ランナーズで失敗の典型例として紹介されてそうなレースでした。
吉田沙保里に見送られ、朝5時スタート!
最初のハーフマラソンは完全に雰囲気にのまれて、オーバーペースで突っ込み、女子の先頭をぶっちぎって、、、いつのまにか一桁順位を突っ走っていました
フォトスポットでは元気よくピース!応援には笑顔で応え、なんなら半笑いで走ってたと思います。
この時は良かったのです。
25キロ過ぎ、体調に変化が。
まず、そこまでにこぼしまくっていたエイドの水やスポーツドリンクで濡れていたウェアが気になり出します。
だんだんと足が前に出なくなってきます。
30キロ過ぎ、
その時、人類は思い出した。奴らに支配されていた恐怖を。残り距離に囚われてしまう屈辱を。
いわゆる「30キロの壁」というやつです。
一気に全身に疲労感を感じるようになって、考えることは、「次のキロ標識まだか、、、?」
この辺で自分が30キロ以上の距離を走ったことがないことを思い出して絶望
40キロ、
ラスト2キロ直前の登り坂で、ヒラメ筋、ハムストリングス、大腿四頭筋が大崩壊
下り坂で楽かと思いきや、つってしまた筋肉達にとってはもはや“逆・心臓破りの坂“
外国人のおじさんのなんて言っているのかわからない応援を背に、ラストは気合と矜持でなんとか走って、
ゴール!
レース全体を振り返ってみると、最初の方はキロ3分半位でおせていたのに、最後の方はキロ6分位まで落ちていました。
別に足が痛くなったというわけではなく、単純に足の筋肉が距離に耐えられていなかったですし、体力が枯渇していました。
どう考えても失敗したレースですが、最初臆することなく攻めて行けたのは間違いなく良い意味でも悪い意味でも収穫にはなりました。 (単にアドレナリンが出まくってただけですが笑)
あと、マラソンを通して本当に感じたのは、応援の力です。
給水所のところで、現地の子供達がみんな歓声を上げて僕を迎え入れてくれて、水を手渡ししてくれました。
沿道の住民や観光客の方々はわざわざ早起きして、 「nice run!」「ファイト!」 と声をかけてくれました。
最後の方では、折り返してほぼ単独走でヘロヘロの僕に、反対走路を走る数え切れないほどのランナー達が、自分の走りを差し置いてでも 「keep going!」「あと少し!」 と途切れずに温かい言葉をかけてくれました。
どの応援も本当に足を前に進める原動力になりましたし、最後の方は、正直応援が無ければ止まってしまっていたと思います。
最後ゴールしてからも、満身創痍で一人でベンチで伸びている僕に、外国人のお爺ちゃんが、 「ゲンキダシテ!」 と日本語で激励してくれて、ちょっと涙が出て、、、、はいませんが、それぐらいの元気を貰いました。
そんな事もあったので、レース中に誰にも応援を返せなかった僕は、自分以外の家族3人がゴールするまでに少しでも元気を返そうと、自分も沿道で応援させてもらいました。
正直全然マラソンにとって良い気候ではない中行われるので、タイムを狙えるような大会ではないです。
ですが、このホノルルマラソンはまた是非出たいと思わせてくれるようなそんな温かみを持っていると思います。
初マラソンがこの大会で本当に良かったです。
と、ここまでマラソンについて書いてきました。
他のハワイ観光、その他印象深かったことなど、もっと書きたいことは山々ですが、長くなっているので、この辺で終わらせてもらいます。
また機会があればそれらのことについてもかければ良いかなと思います。
おやすみなさい。
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