神戸ろんぐ日記
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2014/05/12(月) 関西インカレ反省・岡野
10000mWに出場しました。結果は10位、50’49”05でした。
レースを終始見ていた人ならわかると思うんですが、まぁなんとも情けないレースでした。
描いていたレース像では、自分のスピードでは限界まで出してなんとか集団につけるかどうか、という感じなので集団にはつかない。その代わり、5000mまでは絶対に我慢して誰かの後ろで歩いて力をためておき勝負は後半と考えていました。
予想通り、集団につけない人の後ろについて前半はレースを進めることができました。入りの1000mは4’40、少し余裕のあるペース、これならいける。5000mの通過は24’30、一ヶ月前の大阪陸協の5000mWよりも1分速いけど全く問題なし。7位と8位の人が落ちてきて30mほどの差になってきた。さぁ前に出て上げていこう。6000m通過、ちゃんとペースが10秒近く上がってる。まだ上げていけそう、どんどんいくぜーってとこで突然の死。
あぁ、終わった。と思いました。
終わった後にいろんな人から「お腹を押さえてたけどお腹が痛かったのか。」「足をたたいていたけど足が動かなかったのか。」などなど尋ねられましたが、どうもいまいちピンときません。強いて言うなら上半身が全部痛かった(ような気がします)。
以降はみんなに応援されていることが本当に苦痛でした。吉村が言っていたように、速い競技ではないので応援の声が本当によく聞こえるんです。どこに誰がいてくれるのかもばっちりです。4日目で声も全然出ないのに応援してくれる人、この後すぐに自分の競技が控えているのに応援してくれる人、何より同じトラックでともに歩いている野喜ちゃんと吉村に応援してもらったときは本当に申し訳なかった。このときの僕は本当に情けない顔をしていたと思います。サングラスに帽子をしていてよかった。
一年前の全日本予選会のが終わった後のある先輩の「あんな情けないレースをするなら棄権すれば?と思った。対校戦であることを忘れてはいけない。」が頭をよぎって、このまま醜態をさらしてもチームの士気を下げるだけやし、他の人が失格になって棚ボタの可能性もほとんどなさそうやし、もう棄権しよっかな、って何回か思いました。結局、誰かが失格になる可能性にかけて諦めなかったんですけど。でも「最後まで歩き切ってよかった!」とは思えなかったです。
たら、れば、は言い訳になるのであまり言いたくないんですけど、あのまま歩き切れてれば48分台は絶対に出るレースでした。レース結果を見ても1点、うまくいけば2点は取れてたなと。それだけの準備はできていました。

あとは競歩をしたことに関してちょろっと書かせてもらいます(文章が短いとは言っていない)
ぶっちゃけ1,2回生の時の自分を考えると、まさか競歩をするとは思わなかったですね。吉村が1回生の冬に競歩を始めた時に、「4回生の時には岡野も競歩してるんちゃうか。」みたいなことを言われたことがあるんですが「いやーそれはないって、45分くらいで歩けるならまぁ別やろうけど。」とかなんとか答えた覚えがあります。いやー、人の考えってけっこう変わるもんですね。すごE
関カレ後の飲み会でのぎちゃんに「後輩たちは岡野の姿勢を見習ってほしい。」的なことを言われ、その後も後輩ちゃんたちの何人かに「関カレで点を取るために〜やろうと思います!」的なことを言われました。確かに勝てる可能性の高い種目に取り組むのも一つの手だと思います。いくら今専門としている種目が好きでも連戦連敗では面白くないですからね。実際競歩やってて、面白いくらい記録は伸びるし、できなかった練習もどんどんできるようになるし、もの凄く楽しかったし毎日が充実していました。
でもでもみなさん、ちゃんと考えてみてください。「関カレで勝つためにやりたいことを放棄してチームのために挑戦する。」なんてかっこよくいってみても、実際は「自分のやりたい種目では自分は他の人に勝てません。ギブアップ。」って宣言してるのと同じです。そんなのは弱者の考え方です。ターナーも言ってたみたいに僕らの学年はほんと凄かった。その中で自分だけ足手まといにはなりたくなかった。なんとか必要とされる理由が欲しかったんです。僕は弱者なのでそうすることでしか自分の存在意義を持てませんでしたが。それに結果を出せなければ意味なんてないんですよ。厳しく言えばやってないのと一緒。僕は春合宿の全体ミーティングで「幹部の仕事は自分たちが立てた目標の関カレにおいて必要な点を取ること。」とかなんとか言いました。だから幹部学年がそんな風に取り組むのは当然です。だから山口に3000mSCやらせたりしました。でも裏を返せば1,2回生の間は自分の可能性を夢見て好きなことができます。ま、自分たちが幹部になった時に始めても遅い、今からやればギリギリ間に合う、だからやるぜー。ってのなら話は別です。早い話がチームと自分を天秤にかけてしっかり見極めてほしいってことです。「駅伝終わってからじゃなくて、もっと早く、去年の関カレ終わってすぐに競歩始めてれば絶対余裕で点取れたよな。」って言われました。まぁその通りだと思います。でも自分の中で「チーム」と「自分」を天秤にかけたときのギリギリの妥協点(?)みたいなのが駅伝の後だったんだからしゃーない。もし一年前に戻れても僕はどうせ駅伝まではメンバー入り目指して半年走るし、そっから本気で半年競歩します、んでクッソ後悔する。
僕はこの一年すごく自分に甘かった。適当なチャランポラン野郎でした。だから今すごく後悔しています。この一年はほんとになんだったのかと。自分のやりたかったようにやって、結局自分のやりたかったことを何一つ達成できませんでした。「クッソ長文でなーに言ってだこいつ」って思われるかたもいたことでしょう。でも僕はかわいいかわいい後輩ちゃんたちに後悔してほしくない。僕みたいになってほしくないんです。そのための助けとなればと思って長々と書かせていただきました。がんばれみんな、応援してるよ。

最後になりましたが応援してくださった方々、本当にありがとうございました。


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