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2012/08/14(火)
王子が探しているのはガラスの靴?
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それとも、ひとりの女の子?
最近どきっとさせられた言葉です。対角線論法と同じくらいどきっとします。 対角線論法とは、カントールが実数が非可算個存在することを証明するのに用いたアイデアです。これを使って、区間[0,1]のすべての実数に自然数で番号付けをすることができないことを背理法を用いて証明しています。いやはや素晴らしいです。
微分積分いい気分、あずまにゃんです。 試走合宿でしたね。ふみちゃんすまそ。毎年、たくさんの先輩方にお世話になってます。本当にありがとうございます。
さて、最近絶好調のリア充だだだが写輪眼が欲しいと言ってました。どうやら観察力が欲しいとのことです。 で、観察力とは何かを考えてみました。
以下読んで下さる方のためにBGMを用意しました。 http://www.youtube.com/watch?v=wHrdvvOfQQc&feature=player_detailpage
虹って赤橙黄緑青藍紫の七色ですよね。誰が決めたか知りませんが、レインボー=七色とみんな思っています。 でもあれは本来プリズムによる現象なので、全ての光のスペクトルが見えるはずです。だから認識できる全ての色彩があそこに現れてるはずなんです。でも七色だと思ってるから七色に見えるんです。三色だと思ってたらきっと三色にしか見えません。十二色と思ってみたら十二色に見えるはずです。たぶんそういうものです。 じゃあ逆になにも予備知識もなく初めて虹を見たらどうなるか。きっと普通の人は、なんかカラフルで綺麗だなってなると思います。
「虹の色が何色に見えるのかは、科学の問題ではなく、文化の問題である。何色に見えるかではなく、何色と見るかということである。」 うぃきぺでぃあ先生かっこいいです。
何が言いたいかというと、基準があるからこそ見えるものがあるということです。何か見分けたいものがあるなら、それについての基準を持つべきです。 例えば走り方にはストライド走法とピッチ走法があると言われますよね。そう思って人の走り方を見るから、あの人はストライド、この人はピッチ、と思うのです。 その基準が柔軟な発想を妨げることもあると思います。けれども何か観点がないと、ただ漠然と見るだけになってしまって何も分からず仕舞いになってしまいがちです。
じゃあどんな観点があるのかといえば、ひとつは具体的な理論に基づいたものです。最近はアフリカ勢がマラソンで躍進してるので、つま先接地が注目されてますよね。その観点を持つと、おかのはつま先接地だな、誰それはかかと接地だな、あれ、あずまはどこで接地してるんだ、と感じることができます。 もうひとつは比較です。誰かのフォームを目に焼き付けておけば、他の人と何かが違うと感じると思います。じゃあその違いはどこからきているのか。その違いは走りにどう影響しているのか。ある人の走りを基準に、走り方を考えることができます。
さいごに。じゃあその基準を自分のものにするためにどうするか。勉強しましょう。本を読んで知識を仕入れるのも勉強、試合で強い人の走りを見るのも勉強。べつに強い人でなくてもいいと思います。 桂さんも仰ってました。やっぱり勉強大事です。
うむ。虹の例えは我ながらよかった。これはだだだくんにも伝わる内容ではないでしょうか。
いやはや、なんか関係のないはなしがしたくなってきました。 ぼくがすきなYUIさんのサポートメンバーのARISAさん(通称ありごん)が参加してるガールズバンドのChelsyが、いまボーカリストを募集しています。この前僕らの音楽でmiwaとセッションするなど活躍の場を広げてきています。DrのAMIが超カワユスなので興味のある方は是非。 http://honeybeestudio.jp/
あと1分でPCが再起動するとか言い出したので、このへんで。 あでゆ。
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