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2013/01/02(水) タイトル未定のまま
↓1回目をUPして気付いたのですが、タイトルが付いてないのですね、この話。うん、決めてません。いいタイトル浮かばないんだもん…(T_T)


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 ハビアンがその男に会ったのは、7年前。まだ恵春(えしゅん)と名乗る禅僧だったときだ。所用で上京の市に出掛けると、ちょっとした人だかりができていた。顔の前に扇をかざし、骨の間から見ている者も何人かいる。人だかりの中心にいるのは、琵琶を弾じる男だった。
(なんじゃ、琵琶法師か。珍しいものでもあるまいに、よほどの上手か)
ちらりと見て通り過ぎるつもりで一瞥すると、見慣れない飾りがその男の首に下げられているのに気が付いた。
(キリシタンの検校とは)
 南蛮から伝来したキリシタンの教えが、じわじわと信徒を増やしつつあるのは時折耳にしていた。都ではまだそれほど信徒は多くないとも聞くが、仏教の寺院を意識してか、数年前に洛中に南蛮寺が建った。クルスとか言う、長短二本の棒を交わらせた紋を拝むのだという。目の前の検校の胸で、撥が動くたびにきらり、きらりと光るのが、そのクルスとやらであるらしかった。
 しかし恵春は、キリシタンの教えがどんなものかは知らなかった。禅寺では「仏の教えを否定しておる」という者もあれば、「いや、あれは仏法の一派に過ぎぬ、天竺から来た者どもじゃほどに」と言う者もあり、なんだかよく分からないことになっていた。
(この者は何を語りおる)
 18歳の恵春は、純粋に知りたいと思った。人の群れをかき分けて前に出た。
「『いかに心こはき汝、さりとてはイドロスを拝み、この苦しみを逃れよ』と」
 両目を閉じた法師が語り、琵琶の弦が重苦しく鳴る。
「ビルゼンのたまはく、『その芳言は情けには似たれども、かへりて我には情けなし』」
 意味の分からない言葉もあるが、声色は男の語りから女のそれに変わったようだった。弦の音がすすり泣くように聞こえた。
「今まで我、赤の裸になり、諸人に恥をさらし、打擲を受けたるも何ゆえぞ。我がつまゼズスに離れ奉るまじきがためなり」
 撥の動きが速くなる。もう女は泣いていない。決然と顔を上げていた。
「たとひ天魔波旬は新たに現前して障りをなすとも――」
 法師の声と琵琶の音が、空気を揺るがせて心臓まで響いてくるのが分かった。
「甘露のゼズスと我が中をば、裂け奉ることかなふべからず」

 群れ集まっていた人々がほとんどいなくなって初めて、恵春はその場に立ち尽くしていたことに気付いた。
 杖をついて立ち上がった法師に駆け寄った。直感が恵春を動かしていた。
「もし、検校の坊。今のお話、感銘いたいた。まちっと聞きとうござる」
法師が声の主に顔を向けた。
「…そなた、」
「今の説法を聞いておりまらした。恵春と申す者にござる」
「雪じゃの」
「え?」
「そなた、雪を背負うておる」
 それきり何も言わずに法師は琵琶を背中に担ぎ、杖をついて歩き出した。
 恵春は加賀の生まれである。雪深いところだが、当人にその記憶はない。両親は早くに、自分を連れて京に上ったからだ。恵春は親からの口伝てでしか、故郷を知らなかった。
(なぜわかった)
 小さくなっていく法師の姿を、恵春は呆然と見送った。

 この日のことが頭から離れなかった恵春は、程なくして南蛮寺を訪ね、宣教師から洗礼を受けてFabianという名を与えられた。禅寺でそれなりの教養を身につけていたのを見込まれて、高槻のセミナリオに入学した。

 あの日出くわした法師は、ロレンソ了斎なる元・琵琶法師にして修道士(イルマン)だと後に知ったが、ロレンソは大名家などで説教するのに忙しいのか、再び話す機会は訪れなかった。そのうちハビアンは21歳で豊後臼杵の修練院(ノビシアド)に入った。イルマンとしてイエズス会入会を許されたのだ。さらに学問と霊的修練を深めていこうと決意を固めていた矢先、関白秀吉が伴天連追放令を発した。


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