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2013/01/01(火)
新年に小説書き始めた。
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明けましておめでとうございます。2013年もよろしくお願いいたします。
非常に唐突なのですが、昨日あたりから思い立って小説を書き始めました。16世紀末の日本イエズス会がネタです。書けたら不定期にUPしていきます。ちょこちょこ手直しはあると思います。ちなみに今の時点で、どういう結末になるかという見通しは全く立っていません…(いいのかそんなんで)。
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イエズス会総会長の名代として来日した巡察師(ヴィジタドール)ヴァリニャーノが、欧州における日本への関心を高めるため、また年若い日本人に欧州の進んだ文物を見せるため、4人の少年を使節に立てて日本を発ったのは、1582年2月20日のことである。
そのわずか4ヶ月後、イエズス会を厚遇していた織田信長が落命。代わって権力を握った羽柴秀吉は当初、キリスト教布教を容認していた。しかし1587年6月、突如として「伴天連(バテレン)追放令」を出し、キリスト教を「邪法」と公言した。
使節団はこの報に、ローマからの帰国の途上で接した。状況を見定めるため、一行は帰国を延ばしてマカオに滞留。再び日本の地を踏んだのは、1590年7月であった。
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今後の日本イエズス会の活動方針を決めるため、ここ肥前加津佐の学院(コレジオ)で協議会を開く――とヴァリニャーノが指示してきたので、学生達は準備に追われていた。参加する司祭(パードレ)や修道士(イルマン)は合計32人になり、何日間もかかる見通しだそうだ。会議に使う大部屋に机を運び込むやら、パードレがたの寝室を用意するやら、みな忙しく立ち働いていた。
「ハビアン殿、ちと休みまらしょうず」 水の入った椀を差し出したのは、イルマンの高井コスメである。 「かたじけない」 ハビアンは軽く礼を言い、喉を潤した。一口飲んで椀を返すと、コスメも水を喉に流し込む。喉仏が大きく上下した。 「ハビアン殿はパードレ・ヴァリニャーノを見知ってござるか」 額から顎の先へ流れ落ちる汗を拭いながら、コスメが尋ねた。 「いや、存ぜぬ。身共が洗礼(バウチズモ)を受けた時分には、既に日本を発たせられておりゃったほどに」 「さようにござったか。しかし、いかなるお方でござろうのう。日本人も談合(だんこう)に加われとは。身がパードレ衆の前で物申すなど、思いもよらなんだわ」 コスメは冗談めかして笑った。 「まあ、日本人の考えを聞かいでは、日本での伝道は続け難しとお考えなのではおりないか」 伝道のう、とコスメはため息交じりにつぶやいた。 「教えを広めるどころか、キリシタンはむしろ減っておるのではござないか。追放令よりこちら、コレジオも修練院(ノビシアド)も転々としてばかりで、ちとも気の休まる暇(いとま)がござない。この先どうなることやらと、目の前が暗うなりまらする」 「なんじゃ、気弱じゃのう。コスメ殿、今度見えらるる日本人イルマンの中にはの、もう四十年も伝道をお続けの方もあると聞いておりゃるぞ。その方々から話を聞けば、励みになることもあろうず」 「ハビアン殿、何やらうれし気にござるの」 不思議そうな顔をしたコスメに、なかなか、とだけ答えて、ハビアンは仕事に戻った。
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