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2012/07/03(火) 「平清盛」第22回「勝利の代償」
引き続き保元の乱。
新院方は義朝の放火で総崩れ。頼長も輿に乗って逃げ出しますが、中の山積みの本が地面にぶちまけられてしまいます。それを半狂乱でかき集めようとする頼長の首に

矢が命中。

見事な刺さりっぷりでした。もう「あー!あー!」しか言ってない頼長。本なんかほっとけよと思うのですが、パニックになってる時なんて、そんなものなのでしょう。

一方の新院も人気のないところまで逃げてきますが、供の者たちを帰し、教長に「出家したい」と告げます。しかし「僧も剃刀もございません」と教長。思い返せば生まれてこのかた、何一つ思い通りになったことなどなかった――と嘆くのでした。ここの井浦さんの悲しく悔しい表情、ぐっと迫って来ました。

こちらは後白河天皇方の陣営。忠直ら、落命した兵に清盛たちが手を合わせます。この場面を入れたことに拍手したい。この時代、戦いから逃れることはできませんでした。だからこそ、戦って命を落とした者を敬意を持って弔うのです。「いくさは嫌にござりますぅ〜」などとぬかしていた去年とどちらが上か、比べるまでもありません。

源氏方では、父を失った鎌田正清に義父の忠致が「私を父と思うがよい」と言葉を掛けます。頭を下げる正清。そいつを信じちゃいかんよ、正清。

さてここからは、清盛・義朝ツンデレ劇場。

大鎧、脱がないの?

あれ20〜30kg近くありますので、あんなもの付けて寝転がったら起き上がれません。もう合戦は終わったんだから、脱いでいいのになあ。

ともあれ、いつものキャッキャウフフの末に、源氏重代の太刀「友切」を「髭切」(ひげきり)と改める義朝。

清盛は息子たちとともに自邸に戻ってくるのですが、

大鎧、(略)

さすがに脱いでいいだろもう。

忠正は行方知れず。「大叔父上を探さぬのですか」と言う重盛ですが、清盛は「棟梁としてそれはできぬ」と厳しい一言。本当は気になっているだろうに、落ち着いています。

再び、頼長です。史実通り、南都(奈良)まで落ちのびてきました。「頼長が来た」と聞いて、「去らせよ」と答えるまでの忠実の「間」と表情、良かったですね。舌を噛み切った頼長の口から流れる血が、赤黒くドロッとして生々しい。

頼長よ、こうするしかなかったのだわしは…と思っている忠実の前に、

オウム、飛んできたー!京から奈良まで飛んできたーー!

驚いて駆け寄る忠実に、「チチウエ、チチウエ」と頼長の言葉を伝え、力尽きます。追い返したことを悔い、慟哭する忠実。もらい泣きしましたよ…。

京では、破壊された頼長邸で信西が日記を見つけます。私利私欲に走らず良い国づくりに努めるよう、頼長は息子たちに訓戒を与えていたのでした。この箇所が好きなので、映像化されてうれしかった!

そのほかの部分は読まない方がいいけどね。

平家では忠正と息子たちが見つかり、連行されてきていました。重盛の前では棟梁らしく「叔父上を探すことはできない」と言って聞かせていましたが、実は忠清に命じて探させていたらしい。それでも重盛には言わないあたり、息子の前で棟梁はどうあるべきかを考えているのが分かります。大人になったよね、清盛。

当時、死刑は350年近く執行されていませんでしたから、考えうる最も重い刑は流刑でした。それゆえ忠正は「わしはどこか遠い島に…」とつぶやきますが、「さようなことはさせませぬ」ときっぱり告げる清盛。

一方の義朝邸には、行方不明だった為義が。由良が実家の人脈を使って探したのです。奥さんがせっかくいい仕事したのに、いらんことするなと突っぱねる義朝。嫌だこんな夫。

結局由良一人が為義と対面し、「義朝が内の昇殿を許された」と伝えます。「殿上人となったのか、義朝が…」とつぶやく為義。この笑顔の穏やかさ。降り注ぐ柔らかな光。今回のベストシーンです。 袂を分かってからはいがみあうばかりになったけれど、かつて誓ったように息子が上へ昇って行っていることが、純粋にうれしいんですよね。音楽も合っていました。

さて新院は仁和寺にて、坊主組の仲間入りです。

またメイクが大変になりますね。(´・ω・`)

90分かかるらしいですから、あの特殊メイク…。

内裏では新院方の処罰をめぐって会議が行われていました。「上皇様は流罪が相応」と言い出す信西に、公卿たちはぎょっとします。「また皇位を狙うかもしれないから」と理由を述べる信西ですが、「それでも…」とビビる公卿たちを、遂に声を荒げて、

「ならば何のためにいくさをなさった!」

と問い質します。

これは素晴らしい台詞でした。冒頭の「死んだ兵に合掌」と並んで、高く評価したい場面です。いくさはこれといった考えもなしに起こして、安易に人殺しをするだけのものではない、相応の覚悟をした上でやるものだと。敗者の処遇を決めるにも、「誰かに過酷な罰を科す」という辛さから逃げるな、向き合え!というわけです。

本作で明示されているのが「いくさは単なる人殺しではない」ということなんですよね。戦乱から逃れられない以上、覚悟を決めて現実と正面から向き合い、格闘するしかありません。そして散った者には敬意を払う。それがこの時代の真摯さ、誠実さです。昨年の「いくさは嫌」みたいに現代の価値観を安易に持ち込むことは、当人たちへの侮辱でしょう。

そしていよいよ、忠正と息子たちの処罰が決まり、信西から清盛に伝えられました。刑は「斬首」。

350年執行されていない刑を再開するというのは、江戸時代の「市中引き回しの上、はり付け」を21世紀に再開するようなもの――といったら、清盛の受けた衝撃が伝わるでしょうか。


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