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2012/05/05(土) 「平清盛」第16回「さらば父上」
父・忠盛が他界して第1部終了という区切りの回。どっしりとした落ち着きを見せ、要所を引き締めてきた忠盛が遂に退場です。大河ドラマ「平忠盛」最終回と言ってもいい、第16回です。

久安6(1150)年。摂政・藤原忠通(54)邸(東三条邸)に為義(55)と郎等たちが乱入し、氏長者(藤原氏のトップ)の証である朱器台盤を強奪します。父の忠実(73)が頼長(31)を氏長者にするため、為義に命じたのでした。長男がいながら次男を後継ぎにすると、ろくなことにならないというのは歴史が教えるところ。為義・義朝親子の確執も似たような感じです。朱器台盤奪取というミッションを遂行した為義ですが、摂関家では床に上がれず、庭に畏まっていなければならないというのが「アゴで使われてる犬」感100%。「みっともなくても、生きるため」と腹を括っているらしい為義ですが、義朝(28)には理解できず、親子は離れていくばかり。

院の御所ですれ違う為義と忠盛。「そなたとの約束を果たす」と為義が真剣な顔で言いますが、

忠盛「やくそく? (・д・)」

おいおい覚えとらんぜこのおっさん。

第4回「殿上の闇討ち」での約束でした。20年近く前(1131年)のことですから忘れてても仕方ない…か?

清盛は盛国・兎丸らを連れて、任国の安芸入り。「清盛様が国司とは」と感慨深げにお菓子を食べている家貞、どんどん白髪が増えていますが、平治の乱のころには仙人みたいになっていたらどうしよう。

咳き込んで寝込む忠盛。烏帽子を置く台があるのか〜。宗子さんは見た目年齢が変わらんねえ。どんなスキンケアしてるんでしょうか。一体何歳なんだ。彼女は生没年未詳なのですが、夫の年齢を考えると40代後半〜50過ぎくらいか。

一方の安芸では、神職の格好をした温水洋一さんの案内で清盛一行が厳島神社にやって来ました。その荒れた様子に、「神々も逃げ出しかねない風情」などと真顔でひどいことを言う盛国。

この「清盛と郎等たちが、厳島神社で舞を見る」というのは「新・平家物語」へのオマージュでしょう。「新・平家」の冒頭に、そういうシーンがあります。

こちらは、自邸の庭先で物思いにふける忠盛。「夢中で生きていれば、なぜ武士が今の世に生きているのか分かる」と舞子に言われ、夢中で生きてきたが、いまだ分からん――とつぶやきます。忠盛の問いは、一代で答えが出るものではなかったのですね。

(今回は1150年から始まって53年で終わりですが、どこで年が改まっているのかが分かりにくく、意図的にぼかされている気もします。「宗盛は5歳」発言の時点で1151年のようです。)

一方の内裏。中宮呈子の雑仕女になった常盤ですが、分かりやすい新人いじめ(常盤が美女なので先輩からの憎悪も5割増し)に遭っておりました。雅仁親王の同母姉・上西門院統子(むねこ)(26)も顔見せ。

冒頭で氏長者になった頼長が内覧の地位も手に入れ、焦る忠通。それに対し、「もっと煽って差し上げましょう」と戦闘態勢の美福門院(35)。この最強感。なんという女狐。

平氏パートに戻り、自邸に戻ってくる清盛。「忠盛が病臥している」と時子から聞き、動転して父のもとへ。大慌てで駆け付けたときは、何も起こっていないというのは鉄則ですね。いつも通りの忠盛に、扇子でおでこをぺちっと叩かれてしまう清盛。

扇子って…扇子って…

顔を隠して良し、指示棒にしてよし、相手の帯から抜き取って顎を持ち上げて良し、おでこを叩いて良し。時代劇の最強小道具です。楽しすぎる。

「安芸で船を作れそう!超面白そう!」とやる気満々の清盛を見つめる忠盛が思い残すことない顔してます。

源氏パートでは、由良の計らいで為義・義朝が夕食をともに…するはずが、家成(45)邸襲撃の命令が頼長から下り、為義出撃。頼長邸の前で家成の家人が下馬しなかった報復でしたが、実はこれは美福門院の策略。鳥羽院が頼長を疎むように仕組んだのです。

父との関係が悪化していく義朝ですが、そこで駆け込む相手が由良ではなく常盤(14)というのが…。そ、それでいいのか。
由良もいろいろ考えているのにな…(´・ω・`)

今度は頼長邸襲撃の命が策士・美福門院から平氏に下りますが、清盛は「院と摂関家のいざこざに巻き込まれるために生きているのではない」と断言。この台詞は良かったと思います。王家と貴族が世界の主役だという前提そのものを拒否するという決意が感じられました。忠盛も、「分からん」と言っていた武士の存在意義を気付かされたようです。

次の場面ではいよいよ、忠盛が「次の棟梁は清盛」と宣言。清盛が恐る恐る宗子に目をやると、宗子が黙ってうなずくという無言のやり取りが印象的でした。前回までのトラブルとその修復が思い出されて、見ている方も感慨深い。

再び安芸に赴く清盛一行を見送る忠盛。縁側でよろけて、宗子に支えられます。このシーンもとても温かくて、中井忠盛・和久井宗子夫妻は大成功だったなと改めて思いました。

安芸の海岸でまどろんでいる清盛の側に、いきなり忠盛が現れます。「あーこれ夢だな」とすぐ分かるんですが、すごくいい場面。海岸の2人を引きで撮ったのもいい。幼かった平太を「強くなれ!」と一喝した忠盛が、「強うなったな、清盛」と笑顔で声を掛ける。そして消える。こういう死別の表現もいいですね。成功していたと思います。感動的でした。

忠盛は享年58歳、当時としては平均的な寿命です。このとき清盛は36歳。次回以降、平家を背負って立つことになります。


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