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2012/03/17(土) 「平清盛」第10回「義清散る」
すみません、今回はよく分かりませんでした。個人的に、あまり義清に興味がなかったせいもあると思いますが、何かモヤモヤとしてしまったかな。

今回のベストシーンが頼長と通憲の論語ユニゾンだと言えば、義清パートに食指が動かなかったことが伝わるでしょうか…。というと言いすぎかもしれませんが、実際、このシーンはよかった。2人とも学識豊富だということを端的に示しているうえ、「学を究めるという点で共通する志がある」、しかし「決してもたれ合うような友人関係ではない」ことが、ユニゾンの際の厳しい表情から分かる。学友でありながら、根本的に隔たった部分があることをお互いに分かっている、緊張感のある関係なのです。

で、義清パート。

待賢門院に狼藉を働いたのはお前だろう!と、またしても理詰めで義清を詰問する頼長(この頼長の取り調べ、もうコーナー化してほしい・笑)。なんで頼長は義清を苦々しく思っているかというと、そもそも歌詠みだという時点で嫌いなんですが、頼長は待賢門院寄りだからです。彼の妻・幸子は藤原実能の娘であり、実能は待賢門院ときょうだい。つまり頼長にとって待賢門院は「妻のおば」で、鳥羽院が待賢門院から離れて得子寄りになってしまうと困るんですね。だから、待賢門院に別の男ができるなんていうのは、頼長にとってはあってはならない状況なのです。そのあたり、もう少し描いてくれれば分かりやすかったかもしれません…が、こういう姻戚関係を詳しくやり始めると非常にこんがらがってくるので、難しいところです。

その義清は、璋子を「救った」と思っていたのに、その心がいまだに鳥羽院にあることを知って逆上。美を追求して生きていたはずが、己の中にあった生々しい感情が噴出し、それを正視できなくなってしまいます。

いかに自分が煩悩まみれか、いかに汚いかに気付いてしまった義清。そんなときに、無邪気な娘に桜の花びらを差しだされたりなんかしたらもう拷問です。発狂しろと言われているようなものです。そりゃ蹴りたくもなります。(本当は蹴っていませんが)

まとめると、

いちばん中2病をこじらせていたのが義清だったってことだよ。言わせんな恥ずかしい

ってな感じでしょうか。

この回で、「出家する」つまり「俗世を捨てる」ということの意味をふと考えさせられました。人間はどこまで行っても、生身の体を持つ動物であり、それゆえの本能的欲求が常に湧き出しているものだと思うのです。あれがしたい、これが食べたい、あの人が欲しい、あいつが憎いと。そういう野生動物のような生々しい感情を持ちながら、人にはまた理性や良心もあります。だから、後者は前者の存在に悩み、本能を無にできない限り「自分は汚い」と思ってしまいます。

私は、人間は動物であることをやめることはできないし、そうである限り、汚い本能も美しい良心もともに呑み込んで、どちらも自分の姿だと覚悟を決めて生きていくしかない、それが「生きる」ということだと思います。そう考えると、「自分の醜い部分を直視できないから、出家する」というのははっきり言って現実逃避です。だから私は、現実の汚さ、醜さとがっぷり四つで向かい合う清盛が好きなんだなあ…と、これを書きながら気がつきました。

でももちろん、世を捨てた義清にしか見えないものはきっとあるでしょう。それが今後、ドラマを織りなす糸の中で、他のどの糸とも違う色となってくれたらいいなと期待しています。


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