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2012/12/27(木)
ひさびさ日記
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ツイッター上での話なのですが、ツイッターだと長い文章は分断されて誤解が生じやすいのでこちらに。
来年の大河ドラマ「八重の桜」が、「主人公が常に正しい、道徳の教科書みたいなドラマになりそう。什の掟なんか、まさにそんな感じがする」という内容のことをつぶやくと、「清盛ファンの僻み根性」とエアリプで言われてしまいまして、え、これは「僻み」に認定されるのかとこちらがびっくりしました。ほかにも「清盛ロス」(ペットロスのドラマバージョンということらしい)とか。
確かに、上記の私のつぶやきは「平清盛」がたびたび「欲の肯定」というテーマを提示したことを引き合いに出しての発言だったので、「始まってもないドラマを僻み根性で叩いてる」と言われても仕方ないと思います。すみません。
が、「平清盛」を好意的に視聴していた人(私含め)が、「八重の桜」に関して批判的なことを少しでも言おうものならすべて「清盛ファンの僻み根性」に認定されてしまうのは納得できません。そんな風に取られるのなら、何も言えなくなります。
あと、新島八重がドラマ化されようがされまいが、「什の掟」は私は好きではありません。子供向けの建前であって、大人が大真面目に掲げるようなものではないと思っています…が、それをつぶやいたらこれまた(別の方からですが)「清盛原理主義者」「虫唾が走る」と言われて、おいおい、と。これに関しては、私が清盛が好きかどうかは関係なく投稿したツイートですし、ドラマ「八重の桜」ではなく「什の掟」を個人的にどう思うかを表明したまでです。
しかし現実には、「平清盛」ファンだと(プロフィールやツイートから)判断される人物が、ドラマ「八重の桜」はもちろん、会津にまつわるものに関して少しでも否定的な発言をすると「清盛原理主義者」の「僻み根性」と罵倒されるようです。どうも私は、「八重の桜」に関しては何も言わない方がいいのでしょうね。見ない方がいいかもしれませんね、一切。
それにしても、「清盛ファン」とか「清盛原理主義者」などと言われていますが、私は別に「平清盛」からこの時代に入ったわけではなくて、もともと平家物語ファンだと自分では思っているのですが…。日記での各回感想では、つまらなかった点については批判も書いているつもりです。
とはいえ、ツイッター上でやりとりしている人がみんなこの日記を読んでくれているわけではないですから、そこまで見ずに「こいつは原理主義者だ」と決めつけられることもあるのだなあ、と改めて思いました。それが分かっただけでも、収穫だということにしておくしかないようです。
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