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2012/12/16(日) 「型」のちからの前で
うちで取っている新聞に、NHKドラマ番組部の屋敷陽太郎氏(「篤姫」や「江」のプロデューサーを務めた人)が月1回くらいのペースで文章を書いています。今回は中村勘三郎さんの思い出。ちょっと興味深かったので転載します。

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2012年12月16日付北日本新聞、屋敷陽太郎「天上の娯楽」17「『様式美』で怒声飛ぶ 革新し続けた勘三郎」

 「様式美だとっ。何言ってやがんだ、バカ野郎!」

 中村勘三郎に、激しく叱られたことがある。勘三郎(当時、勘九郎)が主演を務めたNHK大河ドラマ「元禄繚乱」(1999年)。私は、一番下っ端の助監督として1年間参加した。

 配属が決まった日、上司であるチーフ・プロデューサーから最初の命令が下された。

 「勘九郎は、酒好きだ。きっと毎晩のように現場スタッフと呑む。お前は全て付き合え」

 飲み会での話題は、サラリーマンも有名俳優も全く同じ。仕事の愚痴。それしかない。

 私は、スパイを命じられたのだ。脚本内容や監督の演出手法について、主役が本音ではどう思っているのか。トラブルの火種はないか。あれば、こじれる前にこっそり報告しろ、というわけだ。

 ドラマのスタジオ撮影は、朝8時から支度が始まり、深夜の12時から1時ごろに終了する。上司の予想通り、勘九郎は、スタジオ裏手にある掘っ立て小屋のような狭い汚いスペースで、セットに使う木箱を椅子代わりにして毎晩呑んだ。メンバーは、衣装やカツラの担当者、撮影クルー、若手共演者。監督たち(監督は複数いる)やプロデューサーは来ない。勘九郎は、立場の上下や有名無名を問わず、誰にも等しく接した。毎晩(というか明け方まで)、わいわいがやがやと、その日の撮影を振り返りながら呑んだ。私も、毎晩呑んだ。

 激しい議論になることも多々。ある監督の撮影方法が型にはまっている、と勘九郎が不満を抱いたことがあった。それに対して私が、「大河ドラマは様式美の世界。だから、それでいいんじゃないか」と反論した。冒頭のように激しく怒鳴られたのが、その時。

 まさに様式美の世界である歌舞伎界で生まれ育ち、その世界を先頭に立って革新し続けてきた勘九郎。大河は様式美でいいと肯定した私の保守性が、彼にとっては許し難かったに違いない。以来、「様式美でいいと、お前は本心で思っているのか」と、何度も議論をふっかけられた。

 数週間後、その監督の作品が完成した。「悔しいけど、あの監督の仕上がりは凄くいいよねえ」と、勘九郎はしみじみとつぶやきながら酒を呑んだ。撮影手法に大きなわだかまりがあったにもかかわらず、出来上がりの良し悪しを冷静に判断した勘九郎を、私は素直に尊敬した。スパイ業務は忘れ、私は毎晩楽しく呑んだ。

 あれから十数年。幾本かの大河を担当した。賛否両論激しく対立した今年の「平清盛」についても、担当ではなかったものの、考えるところが多くあった。勘九郎に問われた、様式美と革新性。それは、大河がずっと背負ってきた課題であり使命だ。様式美を守るだけでは大河に未来はない。そのことが、今の私にはよく分かる。自らの力で常に変化し、過去を壊し続けなければ進化はない。チャレンジ精神の先にこそ、新しい伝統は築かれていく。

 今では、撮影後に俳優やスタッフが呑むこともなくなった。部下にスパイを命じる必要もない。時代が変わったということだろう。しかし、酒は呑まずとも、今度は私が後輩たちを叱り付けねばならない順番が来た。

 「様式美だとっ、バカ野郎!」

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 勘三郎(当時は勘九郎)さんの言うこと、わかるわ〜なんて書くとおこがましいですが、分からなくはありません。私も「いかにもな時代劇」というか、「時代劇時代劇した時代劇」が苦手なので(うまく表現できなくてすみません)。

 とくに扮装の面でそれを強く感じます。例えば武将はみんな、毛筆で書いて跳ね上げたような堂々たる「武将眉毛」だったり、かつらの揉み上げが耳たぶの辺りまであったり…。女優さんも全かつらで、生え際がやたらときれいな富士額の人ばっかりだとか。実際にはあり得ないのに。だからここ数年、半かつらが広くつかわれるようになったのが私はすごくうれしいです。あれだと、揉み上げや生え際は本人の「自前」のものなので、とても自然になります。

 で、勘三郎さん。様式美の手法をとる監督を批判しながらも「仕上がりは凄くいいよねえ」と褒めたといいます。それもそのはずで、様式美というのは無数の先人が試行錯誤を繰り返して磨き上げてきた「芸の型」ですから、その型にきっちりと乗っ取ってやれば、間違いなくうまくいくのです。それは認める。しかし様式を守って良いものができたことに満足してはいけないんだ、新しいことをやっていかなくては、と勘三郎さんは考えていたのではないでしょうか。そこには常に、「様式通りに手堅くやればうまくいく」という甘い誘惑がある。革新者はその誘惑を振り切って、新しいことをやらなくてはならないのです。「凄くいいよねえ」という言葉は、「様式の持つ圧倒的な力を分かった上で、何をしなければならないか」という、いわば「革新者の苦悩」の現れだったのではないか、と感じます。

 様式美がダメだというわけではない。ただ勘三郎さんが受け入れ難かったのは、当時の屋敷さんの「それ“で”いい」という、既成の型に安住しようとする姿勢だったのではないでしょうか。(今の屋敷さんがどうかは知りません。直接知っているわけでもないですし。「江」は途中で脱落しましたが、「篤姫」は最後まで見てまして、面白いドラマだったと思います。)


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