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2012/11/30(金) 「平清盛」第45回「以仁王の令旨」
今回は、
・安徳帝即位
・祇王・祇女姉妹、仏御前が登場
・清盛の暴走が加速+宗盛の勝手な振る舞い→以仁王の令旨、という流れです。

そして!時代考証(その2)として、他局含めあちこちに露出して来られた本郷和人先生が、エキストラで登場するという記念すべき回でもあります。

治承4(1180)年、清盛(63)の孫である東宮・言仁(3)への譲位が進む中、取り残されていたのが以仁(30)。後白河院の皇子でしたが、親王宣下すら受けていませんでした。育ての母である八条院(44)は源頼政(77)に、武力で平家を倒せとけしかけますが、あくまで慎重な頼政にイライラ。

源氏パートでも、言仁の即位式などの費用で租税が増え、清盛政権への不満が高まっていきます。弓射が下手くそになってる頼朝(34)。

そして、平泉の義経(22)は武芸の鍛練中。いま頼朝と一騎打ちしたら余裕で勝てそうですね。それにしても、キンキラキンの平泉。服も金ぴかです。烏帽子の縁まで金ぴかです。バブルなのかここは。

2月、言仁が即位して安徳天皇が誕生します。

退位した高倉上皇(20)は、他の寺社を差し置いて厳島へ参詣することに。これに怒った比叡山延暦寺がまたしても強訴の動きを見せたため、宗盛(34)がオロオロとうろたえます。「どうしていいか分からない宗盛」と「冷静に対応する知盛(29)・重衡(25)」という、分かりやすい対比。

清盛は、安徳帝即位の儀を福原でやると主張。盛国が止めても、聞く耳を持ちません。「どれだけの犠牲を払ってここまで来たというのじゃ」とつぶやく清盛。

以前にも書きましたが、本作での清盛は、忠盛や義朝、信西、兎丸といった、これまで自分に多くの影響を与えてくれた人たちの「果たせなかった志」を背負っていて、彼らの思いに背中を押されて、頂を目指して上って来ました。自分の志というよりは、彼らの志を実現しなければならないという義務感が清盛を突き動かしているように見えます。この後のシーンで、時忠が清盛の様子を「弔いのよう」と形容するのは、そういう意味ではないでしょうか。志半ばで果てていった人たちの思いを実現することで、清盛は彼らを弔おうとしているのではないかと、時忠は見ているのですね。

ここで、祇王・祇女姉妹がやって来ます。彼女たちは白拍子なのですが、白拍子は歌手や遊び女でありつつ、霊的なものの声、異界の声を語るシャーマン的な面もあって、琵琶法師に通じるものを感じます。だから祇王・祇女の衣装を「巫女のように」したという公式アカウントの説明はすんなり理解できます。

京では、新棟梁の宗盛が宴に明け暮れる日々を送っていました。時子(55)には呆れられていますが、この人は自分よりも知盛や重衡の方が有能だと分かっているんですよね。実際に指示を出すのは清盛ですし、自分は形ばかり置かれた棟梁に過ぎないと気付いている。そのため、自暴自棄になっているようです。

頼政の息子・仲綱は愛馬「木の下(キノシタではなくコノシタ)」を宗盛に奪われ、悔しさを募らせていました。宗盛が木の下をいじめていると聞き、平家が憎いと父に訴えるも、やはり頼政は「平家に逆らっては生きていけない」と言うばかり。

その頼政を八条院は新宮十郎行家に会わせ、「源氏の武者たちは絶えていない、各地にいる」と示します。行家は為義の息子で、義朝や為朝の弟です。そして八条院は、平家打倒の令旨を出すよう以仁に迫ります。

ここからが今週のハイライト。

「安徳帝即位の儀に居並ぶ平家一門」+字幕とナレーションで重なる令旨の文章+BGMアクアタルカス+仏御前登場

って、カッコよすぎでしょうこれ。しびれました。今週はもう、このシーンだけでいい!この4つを重ねて見せるセンスには「参りました!」です。

で、本郷先生のツイートによりますと、行家が連れてる山伏の中に本郷先生がいたらしいですよ!?

えっ!?あの、1秒くらいアップになった人?ええー!言われないと分かりませんでした。

さて、「清盛が戦っているもの」についてちょろっと書いてみます。

清盛は忠正や後白河院から、ことあるごとに「白河院の血」「もののけの血」と言われています。「親から受け継いだ血がすべてを決定する」という、遺伝至上主義みたいな人間観は私は好きではないし、脚本の藤本さんもそんなことは考えてないでしょう。それでは後天的にどんな影響を受け、どんな物の見方を身につけるかといったことはまるで意味がないということになります。

本作の清盛も、後天的影響を大事にしている人です。実際、清盛自身が「自分は白河院の子だからもののけの血が流れている」などと言ったことはありません。清盛が今の清盛であるのは、忠盛、義朝、兎丸、信西といった人たちと出会って鍛えられ、多くのことを学んだからであって、「白河院の子だから」ではないのです。

それなのに、後白河院からはことあるごとに「もののけ」と言われてしまう。そうじゃない!と、清盛は否定したいのです。「血の呪縛」から自由になりたいのです。だからこそ、上掲の「自分に多くの後天的影響を与えてくれた人たち」の夢を実現することで、白河院の影響など自分にはないということを証明したい。しかし、そこまで白河院を意識することそのものが、清盛が「血の呪縛」にがんじがらめになっているという証でもある。

清盛が「血の呪縛」を乗り越えられるのかどうかは、この時点ではまだ分かりません。が、このドラマが問いかけていることの一つは、「『血がつながっている』とはどういうことか」、もっと言うと「人と人が『つながっている』とは、どういうことか」ということではないでしょうか。それは震災以来、ともすれば安易に乱発された「絆」という言葉の、藤本さんなりの解釈なのかもしれません。最終的に示される答えが何なのかは、この物語を終幕まで見届けて、考えてみたいと思います。


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