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2012/11/29(木)
「平清盛」第44回「そこからの眺め」
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今回は治承3(1179)年から。重盛さよならスペシャル、そしてクーデタースペシャルです。
伊豆の頼朝には、早くも娘の大姫が生まれています。直垂も新しくなりました。
そのころ京では、重盛(42)が病臥していました。洗面器抱えてゲホゲホ吐いてます。胃潰瘍だったらしい。
同じころ、清盛の娘・盛子(24)も病床にありました。かなーり久しぶりの登場ですが、摂関家の藤原基実に嫁ぎ、未亡人となっていた女性です。長男の基通(20)が成人するまで、基実の摂関家領を管理する立場でした。
平家の力を削ぎたい後白河院(53)は盛子の病臥につけ込み、摂関家領を取り上げることを画策。清盛(62)を京から遠ざけるため、藤原(花山院)忠雅(55)を厳島参詣に行かせます。演じているのは芸能指導の友吉鶴心(ともよし・かくしん)先生です。
そして清盛が厳島で忠雅を饗応している間に、盛子が死去。たたみ掛けるように基房(36)がやってきて、摂関家領は後白河院のものに。細川基房の笑い方がうまいですね。ものっそい性格悪そうで。
清盛抜きの盛盛会議が始まる平家。時忠(52)は、「重盛が病気なら、宗盛(33)を代わりに立てるべき」と言います。この場面で「重盛は正妻の子じゃない」という発言をしていますが、重盛の母(明子)は「最初の正妻」なので、こんなこと言われる筋合いないのですけども(笑)。
ただ、これは重盛死後の話になりますが、嫡流が宗盛に移ると、維盛・資盛といった小松家は平家内で冷遇されるようになっていきます。これはほんと。で、時忠の案に忠清が反対するのは、小松家に仕えているからなので当然の反応です。
重盛は弟たちと2人の息子を呼び、力を合わせて清盛を支えるように告げます。このときの重盛がすごく痛々しい。やつれて、声にも力がありません。
重盛に1人ずつ名前を呼ばれて、重衡(24)がもっとも感極まった返事をしてましたね。やっぱり彼は共感力の高い子なんだなあ。
そしていよいよ、今週の山場。
病床の重盛を後白河院が訪ねてきます。清盛の攻撃から止めてくれてありがとうと(なんと!)頭を下げ、なんか言い残したいことあったら朕に言って!と温かい言葉をかけてくれます。「父・清盛の国づくりを見守ってやってください」と頼む重盛。弟たちにも言っていましたが、「清盛の暴走を止めろ」じゃなくて「清盛の国づくりを支えよ」なんですよね。なんだかんだで重盛は父さん大好きだったのです。そんな重盛の最期の言葉を自ら聞きに来るなんて、いい奴じゃないか後白河院、と思っていたら、
「ただし、双六に勝ったらな (・∀・)」。
天を突き抜けるほどのSだなこいつ。
体を張って守ろうとしたのがこんなヒドい奴でしたって、瀕死の重盛には衝撃が強すぎるぜ…。そしてまた痛々しくも、最後の力を振り母って賽を振る重盛。でもフラフラ。
そこへ、福原から到着する清盛。
重盛が2歳のときに双六をしたエピソードを持ち出して、「そちは生まれたときから一人で生き、一人で死んでいくのじゃ」って、息も絶え絶えの病人になんちゅうことを言いに来たんですかねこの男は。
この台詞はおそらく、家族愛をほとんど知らない後白河院自身のことなんでしょう。母・待賢門院には愛されていたかもしれませんが、王家は同族内対立が常にあるので、平家一門みたいな「一族団結」は知らないのです。それを持っている清盛が妬ましくて、憎くて、清盛が大事にしている家族というものを壊してやりたかったんじゃないかなあ。子供っぽいですけど。
そして約1カ月後、重盛死去。
窪田重盛のやつれ方が見事でした。頬がこけてたり、目がくぼんでたり。よくここまでやったよ窪田君…!賽を振る時の眼光も凄かったです。
重盛の死後、清盛が推した基通の昇進はかなわず、基房の長男が中納言に昇進。さらに、重盛の知行国だった越前国が召し上げられることになり、清盛の中で何かがキレた。
小刻みに震える清盛の表情筋にご注目ください。
清盛、吠えた。海に向かって吠えました。「変身する!」と思ったよね。絶対変身すると思ったよね。第二形態みたいな。
というのは冗談ですが、これを理由に清盛は上洛し、基房はじめ反平家の公卿39人を左遷・罷免。そして後白河院を鳥羽離宮に幽閉。治承三年の政変(クーデター)です。これで清盛は「武士が世の頂に立った」と感慨に浸るのですが、こんなに反感買いまくるやり方で頂に立つというのは危なっかしいというものです。
そしてラスト、西八条のシーンへ。言仁が障子に穴をあけるという有名なエピソードです。明かり障子にあいた小さな穴を覗き込む清盛の目のアップに、祇園女御の「いかかにござりますが、そこからの眺めは…いかがにござりますか…」というリフレインが重なります。
何このホラーっぽい終わり方!
何これ。大河ドラマでこんな絵、見たことないです。
アップになったのはひたすら「清盛の目」であって、「清盛が見た眺め」は画面では示されません。こういうのが、今年の大河が「わかりにくい」「難しい」と言われるところなんでしょう。見る側の想像にゆだねる部分が大きいから、視聴者は考えながらついていかなきゃいけない。
「世界の正義を探求するテレビ」MCの吉木りささんが言っていて大いに同感だったのですが、「わかりやすい番組」に視聴者が慣らされすぎているんじゃないのかと。1から10まで説明してくれる親切な番組じゃないと、見ることができなくなっている。だから今年みたいに、見る側の解釈次第で何通りにも読み解けたり、深読みしようと思えばいくらでもできる、いわば「余白が大きい」とドラマを見せられると「難解」「疲れる」と思ってしまう人が少なくないのだと思います。見る側に思考を要求するから。そこが面白いのですけどねえ…。
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