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2012/11/15(木) 「平清盛」第40回「はかなき歌」
今回は承安4(1174)年から。ついに大輪田の泊が完成しました。訪ねてきた西光に清盛(57)は銭での売買を教え、宋銭を京でも広めてほしいと頼みます。かつて西光が仕えた合理主義者・信西も、生きていれば同じことをやっただろう…と、西光も宋銭を受け入れてくれました。

清盛は、後白河院(48)と建春門院滋子(33)の厳島神社参詣を計画。高倉天皇(14)と中宮徳子(18)の間に皇子が産まれるよう、祈願してもらおうというのでした。(安徳天皇が生まれるのはずっと後ですので、清盛はやきもきするし、徳子はプレッシャーを感じることになるのですが…)

3月、後白河院と滋子が厳島へ。このドラマはスタジオでの撮影が多いので、厳島ロケの映像は解放感があっていいですね。

一方、伊豆。北条時政の館では、東国スリーアミーゴスの一角・上総常澄の死をみんなで悼んでいました。

配膳に来た政子(18)がずいぶん女らしくなっている!鬼も十八ってやつですかねうわ何をするやめあsdfghjkl

スリーアミーゴスから「あんた源氏の嫡男なのに、こんなとこでくすぶってていいのかYO!」と発破をかけられますが、「私には関わりのないことにて」とやる気のない返事をする頼朝。木枯らし紋次郎かお前は。政子が家まで押し掛けてくるも、冷たく追い返してしまいます。

さて、京・小松邸(重盛の館)。

経盛(51)が、維盛(17)と資盛(17)に舞の稽古をつけていました。風雅の道に力を入れる理由を、経盛は「平家は王家に連なる一門になったから」と言っていますが、重盛(37)は「法皇様は芸事を好まれるから」とごっしーに特定しているあたり、重盛の後白河寄りの立場がさりげなく出ています。

また六波羅では、知盛(23)と重衡(19)の弓の稽古を忠清が指導中。2人ともなかなかの腕前です。重衡のドヤ顔がたまらん。辻本祐樹君の「無邪気な少年」っぽさがいいですね。重衡役がぴったりだと思います。

どや、上手いやろ!と得意な重衡に忠清は「実戦では的は止まっていてくれない」と釘を刺しますが、

「いくさなど、起こるのか?(・д・)」

と無邪気に返す重衡。Oh…なんという戦争を知らない子どもたち…。重衡は保元の乱も平治の乱も知らないのですよね。弓馬を「実戦に必要な技能」ではなく、あくまでも「スポーツ」として考えていたのです。

武芸だけやってやってりゃいいわけじゃないんだよ、ごめん忠清、と知盛にも言われてしまい、ショックを受ける忠清。やめて!藤本宏さんは坂雲でもJINでも武将や軍人の役ばっかりなのに、武芸いらないとか言っちゃダメ!

あーあー泣いちゃったー。

そこへやってきた源頼政(71)。おおっ、忠清の悲哀を分かってくれそうな古兵(ふるつわもの)が来てくれた!と思ったら、「法皇様の今様合わせに、経盛殿をお誘いに」。

忠清、ダブルパンチ。(つД`);

ちなみに頼政が経盛の名前を出したのは、この二人は実際に和歌友達で仲が良かったからです。「十訓抄」にそういうエピソードがあります。そこまで呼んでいるのか、藤本有紀さん…もう平伏するしかないぜ…。

ちょっと話は横にそれますが、重衡役の辻本さんについて。ツイッター上では05年「義経」の平家側キャストを「完璧だった」と、やたらと高評価することで今年の配役に難癖をつけるような向きもあるのですが、全く的外れだと思います。重衡が細川茂樹ってのは「ないわー」と思うんですよ。若くないもん。重衡は若々しく、子どものように無邪気なところがある人じゃないと。細川茂樹だと、なんかもう人生の苦渋を知っちゃってる感じがしますからね。辻本祐樹君で大正解。

あと、知盛が阿部寛ってのも「ないわー」です。西国の人たちである平家の公達は平たい顔族だったはずで、あんなローマ人みたいな顔の人がいるわけないです。それに知盛は病弱だったので、阿部寛だとガチの武人すぎて、おかしい。知盛像を少しも分かっていない配役だと思います。

まあ、知盛に阿部寛がキャスティングされたのは、「義経」では教経がスルーされた分、その役割が知盛にも負わされているからなんでしょうね。(だから、知盛が義経に八艘飛びをさせている。)それも教経ファンからすると、暴挙なんですが。

さて、「平清盛」に戻ります。

相撲(すまい)の節会をまたやりたいので、清盛に助力を頼みに福原にやってくる西光。ところが、清盛はあっさり断ってしまいます。

西光は信西に憧れて、自分が理想とする人物である信西に近づこうとして、その事績をなぞろうとしている。でもそれはうわべだけの模倣にすぎず、西光は信西にはるかに及ばない人物なのだ――と、清盛はとっくに見抜いているのです。

場面は変わり、後白河院の御所。一人で今様を紙に書きつけては歌っている後白河院。そこへ滋子がやってきます。この場面、とても良かったです。和歌に比べて俗っぽい、レベルが低いものと思われている今様と、自分の存在を重ねて、それでも今様が好きだと語る後白河院。グッと来ました。

重盛が右近衛大将になりますが、成親と西光は平家の権勢が面白くない様子。

で、いつのまにか安元2(1176)年になり、後白河院の五十の賀が催されます。「安元御賀記」ですね。経盛(53)の華やかな衣装が面白いです。

ここで後白河院が清盛に対し、「お前は俺に欠かせないし、俺はお前に欠かせない!」と、なんかすごい発言。なんですかそれ。愛の告白ですか。

維盛と資盛の舞(青海波)と重ねながら、滋子と後白河院の2人の時間が描かれます。シャクヤクが床に敷き詰められてるのが、「半分夢の中」みたいな映像ですね。

そして、滋子他界。享年35歳。

おお!上西門院様!お久しぶりです!

ごっしーが最後に歌ってる今様が切ない…。(つД`);
成海滋子、登場当初は幼い感じがしましたが、だんだん大人っぽくなって良かったと思います!


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