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2012/10/09(火) 「平清盛」第37回「殿下乗合事件」
この回は1170(嘉応2)年。演出は橋爪紳一朗さん。

北条時政の屋敷に連れて来られた頼朝は、東国武士との宴に同席することに。

福原では、清盛(53)が宋の商人・周新と対面していました。この周新は第8回「宋銭と内大臣」に登場していた人。公式サイトで確認すると第8回は1136年という設定だったので、実に34年もの年月が流れていたのですね。当時、清盛はまだ19歳でした。

宋との取引の場を博多から福原に移すため、宋国の貿易の元締め(通産大臣みたいな人か?)と会いたいなあ(はあと)と持ちかける清盛。日本ならではの献上品といえば金!ゴールド!というわけで、金を産出する奥州から取り寄せることにします。そのため、鎮守府将軍という官職を藤原秀衡に与えるのですが、

京本秀衡の化粧が濃くて…

京劇の役者みたいになってますがな。

清盛はさらに、後白河院を福原に呼んで宋人に会わせたいと考えます。たまたま福原を訪れていた時忠が、奥州から届いたという赤い羽根に着目。少年2人に赤い水干を着せて赤い羽根を付け、後白河院の前で披露。「福原で宋人と会わな〜い?」と誘います。清盛の誘いに乗る後白河院。

清盛の貿易推進が面白くないのは、藤原基房(27)・兼実(22)兄弟。細川基房の笑い方がどんどん気持ち悪さを増してますね。イイネイイネ!

六波羅邸では、維盛(13)・資盛(13)が弓の稽古をしていますがあまり上手くありません。武闘派の忠清に「それでは平家の男子と言えない」と苦言を呈されてしまいます。(ちなみに、維盛・資盛を演じている2人の子役は本当に兄弟だそうです)

この後の、重盛(33)と経子が夜中に一緒に本を読むシーンが良かったですね。高橋愛さん演じる経子がなかなか良いのですよ。元アイドルでしょ?元モー娘でしょ?芝居できるの?と思っていた私が間違っていました。彼女のしっとりと落ち着いた雰囲気、とてもいいと思います。台詞も極力減らされていて、重盛がろうそくを経子の近くに移すところも無言。表情だけで会話する2人。読書する2人を後ろから撮った引きの映像も美しい。

そしていよいよ、嘉応2年7月3日。

鷹狩りからの帰りだった資盛の輿と、摂政基房の輿が行き合います。資盛側は輿を降りるよう求められますが拒否。「私は相国入道様の孫ぞ!」と声をあげたのが耳に入った基房が、

基房史上最高の黒さでほくそ笑みました。

基房の従者たちは資盛を輿から引きずり下ろし、暴行を加えます。平家の子息をボコるなんて兄上ありえねー!と兼実から非難されますが、基房は「悪いのは資盛なんだから、重盛は何も言ってこない」と余裕の表情。

重盛は基房の予想通り、資盛を叱責。しかし時子(45)や経子、資盛には不満が残ります。

この知らせを福原で聞く清盛。盛国は重盛の判断を「公明正大」と評価しますが、時忠は「正しすぎるということは、もはや間違うているも同じにございます」と意味深なことを口にします。

9月20日、福原にて後白河院と宋の使者との対面が実現。清盛、宋語を話せたのね!今で言うと貿易会社の人が英語を話せるようなものですかね!

ところがこの謁見が京の貴族たちには不評。貴族たちは揃って保守的でした。

六波羅では、基房に報復しないのかと重盛が一門から問い詰められていました。「そんなこと必要ない」の一点張りの重盛ですが、一門は「なんか重盛、弱腰じゃない…?」と言いたげです。

そして、事件から約3カ月後の10月21日。基房の輿の一行が武士の一団に襲われ、従者たちが髻を切られるという辱めを受けます。上機嫌で鼻歌を歌いながら輿に揺られていた基房が、襲撃されると一転してうろたえ「お許しを、おゆ、おゆる、おゆるしを〜あsdfghjk!!」となってしまう落差が面白い。ここは細川茂樹氏の腕の見せ所です。

何も知らない重盛が参内すると、一斉に道を空ける貴族たち。不思議に思いながら議定の場に入ると参議たちが恐れおののき、基房が半狂乱で謝罪してきます。何のことが分からないという顔の重盛に、「そなたではないと申すか」と尋ねる兼実。

何があったか聞いたらしい重盛が現場へ行ってみると、そこには無残に壊れた輿と赤い羽根

時忠がやりやがった。

重盛は我が子が暴行に遭って、怒らなかったわけがありません。それでも「棟梁は私情で動いてはならない」と思ったから敢えてこらえ、報復しなかったのです。報復しなかったのにはそれなりの理由があったのに、その判断を時忠に覆されてしまった。しかも、重盛が敢えてとらなかった選択肢が実行に移された結果、一門の面々が満足そうにしている。これは重盛にとっては衝撃だし、「棟梁・重盛」が否定されたかのように思ってしまうでしょう。

「資盛のために重盛が報復した」と思っていたらしい経子は、重盛が複雑な表情をしているのに気付きます。

そして深夜、写経を破り捨てて叫び、泣く重盛。心を落ち着けようとして写経をしていたのだと思いますが、写経くらいで鎮まる動揺ではなかったのですね…。うわーん重盛――!。・゜・(つД`)・゜・。

一応付言しておくと、平家物語では清盛が基房に報復したことになっていますが、これは清盛を悪役にするための創作で、「愚管抄」によれば報復したのは重盛。このために高倉天皇の元服(※)が延期されてしまいました。高倉帝は時忠の大事な甥ですから、その元服を時忠が妨害するというのは本当は有り得ません。…が、本作では殿下乗合事件を、重盛の苦悩を描く題材としたわけで、ドラマとしては「あり」ではないかなと思います。

※ ツイッターで、この部分を「憲仁の立太子は延期されてしまった」と書いてしまっていましたが、憲仁はとっくに即位してました。私の勘違いでした。


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