日記 & 更新情報
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2012年10月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2013/02/24 更新情報
2013/02/17 うわああー。
2013/02/09 徒然なるままに
2013/01/31 結局「何を優先するか」という話。
2013/01/20 「八重の桜」を見るのがつらい。

直接移動: 20132 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 5 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 8 7 6 5 4 3 月 

2012/10/18(木) 「平清盛」第39回「兎丸無念」
演出は安定の柴田岳志さん。

アバンは遮那王(牛若)と弁慶の邂逅から。この目まぐるしい殺陣が迫力十分。神木君のノーブルさもいいですね。無表情で集まってくる禿(かむろ/かぶろ)が不気味だわ…。

今回は禿が(いろんな意味で)大活躍。基房・兼実兄弟が話してると縁の下に禿がいるという場面、ちょっとホラーっぽくてナイス。

本作の禿は「人間じゃなさそうな感じ」、いわば異形っぽさがあると思います。青墓のシーンで出てきた子どもたちが「もののけ姫」のコダマみたいに見えたのもそうなんですが、このドラマはときどきこういう「異形っぽいもの」を出してくる。

しかし10代前半の少年をスパイのように使うことに、兎丸は反対。「禿のおかげで平家の文句を言う者がいなくなった」と肯定的な清盛に憤ります。

9月、宋からの書状が清盛のもとに到着。日本との交易を宋国が認めた!と喜ぶ清盛達ですが、京の貴族たちは「文章が上から目線」だと拒否。一方、後白河院は交易に積極的。

「生き急いでいる」と西行が言った通り、清盛は大輪田泊の工事を焦っていました。早く宋国の使者を迎え、日本を実質的に動かしているのが自分だと示そうとするあまり、工事に「あと半年かかる」という兎丸に「三月でやれ」と言ってしまいます。

盛国「殿、それは余りにブラックな…(°Д°)」

2カ月後、工事の作業に加わっていた蝉松が現場で重傷を負ってしまいます。労働災害です。

さすがにこんな急ピッチの工事は無理だと言う兎丸。これからもっともっと怪我人が出る、死人も出るぞ!と食ってかかります。「お前、大志があるのか何か知らんけど、踏みつけにしてるものが多すぎるぞ」と。工事のことも、禿のことも。清盛の志はもはや、「達成の過程で出る犠牲の方が大きい目標」になってしまっていると、兎丸は感じていたんですね。

清盛も頭に来て、作業員が死ぬのなんて瑣末なことだ!と口走ってしまい、ついに2人は決裂。清盛の目がイイ!

それにしても、蝉松・時松・国松の三人がまだいたことが驚き。キャラのアフターフォローが手厚いですね。

清盛のもとを離れた兎丸と愉快な仲間たちは、福原から京へ。五条大橋の下で雨をしのぎ、清盛の悪口で盛り上がって酒盛りスタート。

兎丸が一人になったところに、平家disを聞きつけて禿が出現。兎丸は刺し殺されてしまいます。

禿の役目は平家を悪く言う者を捕らえたり家財道具を奪ったりすることなので、これは明らかに時忠の指示を超えています。暴走しているのです。というのも、みなし子やそれに近い、路頭に迷っていた子どもたちに役目を与えてなまじ充実感を味わわせてしまったものだから、「やりがい」を見出してしまったのですね。であれば、兎丸に「こんなことしてたらアカン」と言われても、全く心に届かないのです。

翌朝、冷たくなった兎丸を発見する清盛。

うん。

ツッコミどころとしては、

京―福原が電車で20分くらいに見えるということでしょうか。京で飲んでた兎丸の姿が見えないからって、「かしらー!かしらー!」と言いながら手下たちが福原に着いてしまう、とかね。その日の夕方には清盛が福原に戻っているので、この日の清盛の行動は、

6時 兎丸の姿が見えないと手下達から聞く@福原
6時半 入京
7時 兎丸発見
昼ごろ? 兎丸の葬儀について平家一門に指示@六波羅
午後 福原に下る
17時 盛国と語る

だとしか思えません。おいおい、京―福原は「馬で一日」って清盛、言ってたじゃん(笑)。

気を取り直して、盛国との会話。「殿の心の中だけにある国」というのが、清盛には痛い指摘でした。清盛の志は、清盛以外の誰にも理解できなかったのです。「あなた以外に理解できる者は私も含めていませんよ、そんな状態で物事を進めるのはめっちゃ難しいですよ。今以上にガンガン犠牲が出ますよ。それでもやるんですね?やるなら、私は分からないなりについて行きますよ」と。

そして経ヶ島完成へとつながっていくのですが、ここは平家納経との対比で考えると面白いんじゃないでしょうか。

「平家納経」の回でもやはり、平家がたびたびの合戦で出した犠牲者を静めるために経を書きます。清盛はそれを厳島神社に奉納することにこだわり、嵐の中で重盛に「経を海に沈めましょう」としきりに言われてもはねのけました。

ところが今回は、経を石に書いて静めました。もともと石で海を埋め立てる工事ではあったのですが、平家納経の時には拒んだ行為です。あのときと何が違うのかを考えると、今回は身内から犠牲が出たのであって、もともと敵対していたわけではないということです。

清盛にとって海は「輝かしい夢の舞台」なんですよね。だから平家納経を海に沈めるというのは、まるで海を墓場と同一視する感じがして、清盛は直観的に「ねーわ」と思ったんでしょう。しかしその「夢」の実現に焦るあまり、仲間を死なせてしまった。そこで清盛が行き着いた自戒の方法が、仲間を死に追いやった証拠を海中に刻むことだった――

…なんてな。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.