日記 & 更新情報
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2012年10月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2013/02/24 更新情報
2013/02/17 うわああー。
2013/02/09 徒然なるままに
2013/01/31 結局「何を優先するか」という話。
2013/01/20 「八重の桜」を見るのがつらい。

直接移動: 20132 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 5 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 8 7 6 5 4 3 月 

2012/10/24(水) 拍手お礼
【拍手お礼】
10月18日、22日に拍手下さった方、ありがとうございます♪またおいでいただけたら嬉しいです。

2012/10/18(木) 「平清盛」第39回「兎丸無念」
演出は安定の柴田岳志さん。

アバンは遮那王(牛若)と弁慶の邂逅から。この目まぐるしい殺陣が迫力十分。神木君のノーブルさもいいですね。無表情で集まってくる禿(かむろ/かぶろ)が不気味だわ…。

今回は禿が(いろんな意味で)大活躍。基房・兼実兄弟が話してると縁の下に禿がいるという場面、ちょっとホラーっぽくてナイス。

本作の禿は「人間じゃなさそうな感じ」、いわば異形っぽさがあると思います。青墓のシーンで出てきた子どもたちが「もののけ姫」のコダマみたいに見えたのもそうなんですが、このドラマはときどきこういう「異形っぽいもの」を出してくる。

しかし10代前半の少年をスパイのように使うことに、兎丸は反対。「禿のおかげで平家の文句を言う者がいなくなった」と肯定的な清盛に憤ります。

9月、宋からの書状が清盛のもとに到着。日本との交易を宋国が認めた!と喜ぶ清盛達ですが、京の貴族たちは「文章が上から目線」だと拒否。一方、後白河院は交易に積極的。

「生き急いでいる」と西行が言った通り、清盛は大輪田泊の工事を焦っていました。早く宋国の使者を迎え、日本を実質的に動かしているのが自分だと示そうとするあまり、工事に「あと半年かかる」という兎丸に「三月でやれ」と言ってしまいます。

盛国「殿、それは余りにブラックな…(°Д°)」

2カ月後、工事の作業に加わっていた蝉松が現場で重傷を負ってしまいます。労働災害です。

さすがにこんな急ピッチの工事は無理だと言う兎丸。これからもっともっと怪我人が出る、死人も出るぞ!と食ってかかります。「お前、大志があるのか何か知らんけど、踏みつけにしてるものが多すぎるぞ」と。工事のことも、禿のことも。清盛の志はもはや、「達成の過程で出る犠牲の方が大きい目標」になってしまっていると、兎丸は感じていたんですね。

清盛も頭に来て、作業員が死ぬのなんて瑣末なことだ!と口走ってしまい、ついに2人は決裂。清盛の目がイイ!

それにしても、蝉松・時松・国松の三人がまだいたことが驚き。キャラのアフターフォローが手厚いですね。

清盛のもとを離れた兎丸と愉快な仲間たちは、福原から京へ。五条大橋の下で雨をしのぎ、清盛の悪口で盛り上がって酒盛りスタート。

兎丸が一人になったところに、平家disを聞きつけて禿が出現。兎丸は刺し殺されてしまいます。

禿の役目は平家を悪く言う者を捕らえたり家財道具を奪ったりすることなので、これは明らかに時忠の指示を超えています。暴走しているのです。というのも、みなし子やそれに近い、路頭に迷っていた子どもたちに役目を与えてなまじ充実感を味わわせてしまったものだから、「やりがい」を見出してしまったのですね。であれば、兎丸に「こんなことしてたらアカン」と言われても、全く心に届かないのです。

翌朝、冷たくなった兎丸を発見する清盛。

うん。

ツッコミどころとしては、

京―福原が電車で20分くらいに見えるということでしょうか。京で飲んでた兎丸の姿が見えないからって、「かしらー!かしらー!」と言いながら手下たちが福原に着いてしまう、とかね。その日の夕方には清盛が福原に戻っているので、この日の清盛の行動は、

6時 兎丸の姿が見えないと手下達から聞く@福原
6時半 入京
7時 兎丸発見
昼ごろ? 兎丸の葬儀について平家一門に指示@六波羅
午後 福原に下る
17時 盛国と語る

だとしか思えません。おいおい、京―福原は「馬で一日」って清盛、言ってたじゃん(笑)。

気を取り直して、盛国との会話。「殿の心の中だけにある国」というのが、清盛には痛い指摘でした。清盛の志は、清盛以外の誰にも理解できなかったのです。「あなた以外に理解できる者は私も含めていませんよ、そんな状態で物事を進めるのはめっちゃ難しいですよ。今以上にガンガン犠牲が出ますよ。それでもやるんですね?やるなら、私は分からないなりについて行きますよ」と。

そして経ヶ島完成へとつながっていくのですが、ここは平家納経との対比で考えると面白いんじゃないでしょうか。

「平家納経」の回でもやはり、平家がたびたびの合戦で出した犠牲者を静めるために経を書きます。清盛はそれを厳島神社に奉納することにこだわり、嵐の中で重盛に「経を海に沈めましょう」としきりに言われてもはねのけました。

ところが今回は、経を石に書いて静めました。もともと石で海を埋め立てる工事ではあったのですが、平家納経の時には拒んだ行為です。あのときと何が違うのかを考えると、今回は身内から犠牲が出たのであって、もともと敵対していたわけではないということです。

清盛にとって海は「輝かしい夢の舞台」なんですよね。だから平家納経を海に沈めるというのは、まるで海を墓場と同一視する感じがして、清盛は直観的に「ねーわ」と思ったんでしょう。しかしその「夢」の実現に焦るあまり、仲間を死なせてしまった。そこで清盛が行き着いた自戒の方法が、仲間を死に追いやった証拠を海中に刻むことだった――

…なんてな。

2012/10/17(水) 「平清盛」第38回「平家にあらずんば人にあらず」&拍手お礼
時忠の有名な台詞をサブタイトルに関した第38回。演出は渡辺一貴さんです。

視聴率は最近の中では良かった(14.3%)らしいのですが、実はこの回はあまり印象に残ってないのです。禿(かむろ)のビジュアルがそんなに私のツボではないからかなあ。好きな人はすごく好きだと思うのですが。

というわけで今回の感想は箇条書きで、簡単に。

・時子が倒れる。それはいいのですが、なんと生田さんが落飾しているのです。しかも見た目年齢が変わっていません。驚異のアンチエイジングです。

・病で官職を辞したという重盛。胃痛か…目がうつろになっています…。(つД`)

・徳子の結婚相手クイズ。「まだ若い」「正月に元服した」だけで分かってしまう重盛。それだけのヒントで分かるとか、なんて勘がいいんだ。

・議定の場でほつれ髪を撫でつけている成親。そこらへんの女よりよっぽど色っぽいですよねこの男…。ツイッター上では後白河院御所から直接出勤しているのではないのかという後朝疑惑まで出ておりまして、いや何ともエロい。さすが芙蓉の殿上人です。

・重衡の舞がイイネ!貴公子だね!辻本君が似合っています。

・八条院が政敵を追い落とす手段は「デマを流す」。得子ゆずりだな、これは。

この回、ツイッター上でちょっとした話題になったのが「五条大橋」について。

「鴨川の川幅はもっと広いのに、橋が短すぎ」
「殿下乗合事件で基房の輿が橋の下を通ってたのも有り得ない、高貴な人はそんなことしない」
「そもそも当時、あの場所に橋は掛かってない」

といったツッコミが入ったのですが、私が思うにあの橋は、

舞台装置

です。

演劇でたまにあるのですが、ある程度高さのある橋を舞台上に掛けて、橋の上と下で別々のエピソードが進行してたり、上と下の人同士が会話したりとかいう風に使われます。舞台を三次元的に使うわけです。

このドラマは鳥羽院の「朕を射てみよ」のシーンとか、舞台演劇っぽいことを時々やるんですが、劇中の橋もそれじゃないのかな、と。だからまあ、川幅がどうとか言っても野暮なだけです。

【拍手お礼】
10月16日に拍手下さった方、ありがとうございます♪またおいで頂けたらうれしいです。

2012/10/09(火) 「平清盛」第37回「殿下乗合事件」
この回は1170(嘉応2)年。演出は橋爪紳一朗さん。

北条時政の屋敷に連れて来られた頼朝は、東国武士との宴に同席することに。

福原では、清盛(53)が宋の商人・周新と対面していました。この周新は第8回「宋銭と内大臣」に登場していた人。公式サイトで確認すると第8回は1136年という設定だったので、実に34年もの年月が流れていたのですね。当時、清盛はまだ19歳でした。

宋との取引の場を博多から福原に移すため、宋国の貿易の元締め(通産大臣みたいな人か?)と会いたいなあ(はあと)と持ちかける清盛。日本ならではの献上品といえば金!ゴールド!というわけで、金を産出する奥州から取り寄せることにします。そのため、鎮守府将軍という官職を藤原秀衡に与えるのですが、

京本秀衡の化粧が濃くて…

京劇の役者みたいになってますがな。

清盛はさらに、後白河院を福原に呼んで宋人に会わせたいと考えます。たまたま福原を訪れていた時忠が、奥州から届いたという赤い羽根に着目。少年2人に赤い水干を着せて赤い羽根を付け、後白河院の前で披露。「福原で宋人と会わな〜い?」と誘います。清盛の誘いに乗る後白河院。

清盛の貿易推進が面白くないのは、藤原基房(27)・兼実(22)兄弟。細川基房の笑い方がどんどん気持ち悪さを増してますね。イイネイイネ!

六波羅邸では、維盛(13)・資盛(13)が弓の稽古をしていますがあまり上手くありません。武闘派の忠清に「それでは平家の男子と言えない」と苦言を呈されてしまいます。(ちなみに、維盛・資盛を演じている2人の子役は本当に兄弟だそうです)

この後の、重盛(33)と経子が夜中に一緒に本を読むシーンが良かったですね。高橋愛さん演じる経子がなかなか良いのですよ。元アイドルでしょ?元モー娘でしょ?芝居できるの?と思っていた私が間違っていました。彼女のしっとりと落ち着いた雰囲気、とてもいいと思います。台詞も極力減らされていて、重盛がろうそくを経子の近くに移すところも無言。表情だけで会話する2人。読書する2人を後ろから撮った引きの映像も美しい。

そしていよいよ、嘉応2年7月3日。

鷹狩りからの帰りだった資盛の輿と、摂政基房の輿が行き合います。資盛側は輿を降りるよう求められますが拒否。「私は相国入道様の孫ぞ!」と声をあげたのが耳に入った基房が、

基房史上最高の黒さでほくそ笑みました。

基房の従者たちは資盛を輿から引きずり下ろし、暴行を加えます。平家の子息をボコるなんて兄上ありえねー!と兼実から非難されますが、基房は「悪いのは資盛なんだから、重盛は何も言ってこない」と余裕の表情。

重盛は基房の予想通り、資盛を叱責。しかし時子(45)や経子、資盛には不満が残ります。

この知らせを福原で聞く清盛。盛国は重盛の判断を「公明正大」と評価しますが、時忠は「正しすぎるということは、もはや間違うているも同じにございます」と意味深なことを口にします。

9月20日、福原にて後白河院と宋の使者との対面が実現。清盛、宋語を話せたのね!今で言うと貿易会社の人が英語を話せるようなものですかね!

ところがこの謁見が京の貴族たちには不評。貴族たちは揃って保守的でした。

六波羅では、基房に報復しないのかと重盛が一門から問い詰められていました。「そんなこと必要ない」の一点張りの重盛ですが、一門は「なんか重盛、弱腰じゃない…?」と言いたげです。

そして、事件から約3カ月後の10月21日。基房の輿の一行が武士の一団に襲われ、従者たちが髻を切られるという辱めを受けます。上機嫌で鼻歌を歌いながら輿に揺られていた基房が、襲撃されると一転してうろたえ「お許しを、おゆ、おゆる、おゆるしを〜あsdfghjk!!」となってしまう落差が面白い。ここは細川茂樹氏の腕の見せ所です。

何も知らない重盛が参内すると、一斉に道を空ける貴族たち。不思議に思いながら議定の場に入ると参議たちが恐れおののき、基房が半狂乱で謝罪してきます。何のことが分からないという顔の重盛に、「そなたではないと申すか」と尋ねる兼実。

何があったか聞いたらしい重盛が現場へ行ってみると、そこには無残に壊れた輿と赤い羽根

時忠がやりやがった。

重盛は我が子が暴行に遭って、怒らなかったわけがありません。それでも「棟梁は私情で動いてはならない」と思ったから敢えてこらえ、報復しなかったのです。報復しなかったのにはそれなりの理由があったのに、その判断を時忠に覆されてしまった。しかも、重盛が敢えてとらなかった選択肢が実行に移された結果、一門の面々が満足そうにしている。これは重盛にとっては衝撃だし、「棟梁・重盛」が否定されたかのように思ってしまうでしょう。

「資盛のために重盛が報復した」と思っていたらしい経子は、重盛が複雑な表情をしているのに気付きます。

そして深夜、写経を破り捨てて叫び、泣く重盛。心を落ち着けようとして写経をしていたのだと思いますが、写経くらいで鎮まる動揺ではなかったのですね…。うわーん重盛――!。・゜・(つД`)・゜・。

一応付言しておくと、平家物語では清盛が基房に報復したことになっていますが、これは清盛を悪役にするための創作で、「愚管抄」によれば報復したのは重盛。このために高倉天皇の元服(※)が延期されてしまいました。高倉帝は時忠の大事な甥ですから、その元服を時忠が妨害するというのは本当は有り得ません。…が、本作では殿下乗合事件を、重盛の苦悩を描く題材としたわけで、ドラマとしては「あり」ではないかなと思います。

※ ツイッターで、この部分を「憲仁の立太子は延期されてしまった」と書いてしまっていましたが、憲仁はとっくに即位してました。私の勘違いでした。

2012/10/08(月) 「平清盛」第36回「巨人の影」
この回は重盛がメイン。演出は中島由貴さんです。

1169(嘉応元)年3月20日、清盛(52)が後白河院(43)を招いて千僧供養を行っていました。

ヒゲデビューした重盛(32)は清盛から棟梁の座を譲られますが、時子腹でないという懸念を成親(32)に打ち明けます。大丈夫だって!You can do it! と重盛を励ましながら、重盛が場を離れると「小者が…」とつぶやいているというブラック成親。

しかし重盛も、不安をこぼす相手が成親ってのが、また何とも。まあ宗盛以下時子腹の弟たちに言っても分かってもらえないのでしょうけど。

4月、滋子(28)が院号「建春門院」を賜ります。メイクが公家メイクに変わっている!人の顔は眉次第で大きく変わりますね。近侍しているのは「たまきはる」作者の健寿御前(13)。どう見ても13歳ではありませんが、建春門院の侍女という記号として出ているんでしょう。

福原では清盛が大輪田の泊の改修について、兎丸と協議中。新棟梁の重盛が真面目な性格であることについて、「清いだけでは務まらぬのが、武士の棟梁じゃ」とつぶやきます。真面目すぎて融通が利かない、ということでしょうか。

さて、蛭ヶ小島青春グラフィティ。頼朝がいる邸をこっそり覗きにきた政子(13)は、前回つかまえてしまった徘徊青年が「佐殿」と呼ばれていることを知ります。

再び、京。
6月17日、後白河上皇は出家して後白河法皇に。
前回、清盛は比叡山延暦寺と手を携えたいとして、延暦寺の明雲から戒を受けました。王家の人々も出家する際には延暦寺に頼んでいたのですが、後白河院が選んだのは園城寺(三井寺)。ウチを使わないなんてムキー!となる明雲(56)。

さらに、成親の家来が日吉大社の神人(じにん/じんにん)と衝突する事件が発生。日吉大社は比叡山延暦寺の支配下にあったため、延暦寺が成親の処罰を要求します。ところが後白河院は、日吉の神人の禁獄を決定。明雲以下の延暦寺の僧たちを怒らせてしまいます。

怒った坊さんがやることといえば、強訴。成親の流罪を求めて、向かった先は院の御所…ではなく、高倉天皇(9)のいる内裏。神輿ごと座り込みを始めます。

後白河院が比叡山に屈服すまいとして成親を処分しなかったのが原因なのですが、ことが大きくなってしまったため、意志決定は議定の場へ。重盛は義兄の成親のため、山法師を武力で排除する気満々。しかし福原から戻ってきた貞能によれば、清盛の指示は「議定でどんな判断が下ろうとも、山法師と敵対してはならない」。

議定で結論が出ないことに苛立った後白河院は、山法師を内裏から追い出すよう自ら平氏に命じますが、重盛はついに動かず、成親の流罪が決定。成親の妹・経子を妻に持つ重盛には、つらい結果となってしまいました。

次のシーンですよ、問題は。

朝、憔悴した様子で帰宅した重盛を待っていた経子。お兄様が流罪になっちゃったじゃない!清盛様が何と言おうと、法皇様の言う通りに山法師を追い払えばよかったじゃないの!と重盛を責めるかと思いきや、

「お疲れになったでしょう。すぐに朝餉に致しましょう」

こ…これはつらいですよ重盛は。この対応は、どう考えても経子の本心ではありません。重盛にすれば「妻に本心を隠されている」ということになります。「そこまで妻に気を遣われてるんだ、俺…」と思ってしまうよね。それなら、経子からストレートに非難された方がまだ気が楽だったでしょう。

ところがその後、検非違使別当の時忠(42)が、日吉の事件で取り調べがいい加減だったことを理由に職を解かれてしまいます。後任に就いたのは、配所の備中から召し返された成親。後白河院は比叡山に屈してはおらず、山法師の排除に動かなかった平家にも「朕の言うこと聞けやコラ」と釘を刺したのでした。

この処置に動揺した平家では、時子(44)が重盛に「法皇様をいさめよ」と言いますが、判断を下せない重盛。胃が痛そうな顔してます。「もはや大殿にお出ましいただくしか」と言い出す宗清に対し、「それはならぬ。一門を率いるのは私の務めだ」と制しますが、「恐れながら、それができていれば何も申しませぬ」と返されてしまいます。

重衡(14)@辻本祐樹くんはこの場面がお披露目でしょうか?素直そうな少年という感じで好感。

後白河院が再び「反・比叡山」の姿勢を示したため、延暦寺がまた強訴に出る…という噂が流れ始めました。清盛は、頼盛(38)と重盛を福原に呼び、「集められるだけの兵を六波羅に集めよ。しかし断じて動かすな」と指示。ますます「何それ…」という顔になる重盛。

兵が集まっている六波羅邸にやってきたのは、後白河院と藤原基房(26)・兼実(21)兄弟。平家の動向をいぶかっていたのです。兵を集めた目的を問われて重盛が答えに窮しているところへ、清盛登場!

一歩ごとに効果音というのがゴジラっぽいんですが。

オマエ比叡山の味方なんか、朕の味方なんか、どっちやねん!この兵は何やねん!と後白河院に詰め寄られるも、清盛は「ちょっとハイキング行って来ますわ」とかわして平然とした様子。

平家とその武力は、院の手足ではない。院や院近臣の一挙一動なんかに右往左往しなくていい。院に便利に使われるなと清盛は言いたかったのでしょう。

後白河院は時忠の流罪を撤回して成親を解官。成親は「平家が動かなかったせいで…」と恨みを抱きます。

ラストシーンでは、徳子(16)@二階堂ふみさんが登場。きれいですね!

窪田重盛、うまいです。今回の重盛エピは時代を問わず普遍的にありそうなんだよね。自分に重ねて見た人、多いんじゃないでしょうか。「大きな父を乗り越えられるか」という課題が、代替わりのたびに繰り返されるんですね。

2012/10/07(日) 「平清盛」第35回「わが都、福原」
だいぶ間が空いてしまいました。もう各回感想を書くのをやめたのかと思われてそうですが、遅れながらも続けますよー。

第35回は渡辺一貴さんの演出。
OPクレジットの「剃髪指導 東京都理容生活衛生同業組合」という文字が目を引きます。何が起こるんだ。

年は前回に続いて、1168(仁安3)年。病から回復した清盛(51)は、明雲(55)に出家の意志を伝えます。

平家物語では、病気にかかる→平癒を願って出家→回復 という順序だったのですが、本作では回復後の出家となっています。というのも、「比叡山延暦寺の明雲から戒を受けることで、延暦寺と手を携えたいから」という清盛の意図を前面に出すため。

仁安3年2月11日、清盛が頭を丸めます。剃っているのは地毛。これまでも地毛を伸ばして髻を結っていた松ケン、剃髪も本当にやっちゃいました。東京都理容生活衛生同業組合はこの場面に協力されたようです。もしかして、清盛の頭に剃刀を当てていた坊さんが実は同組合の理容師さんだったり…?

さて、伊豆。

なんか野性児が出てきた。

コーンスターチが歩いているようですが、北条政子(12)です。弟の小四郎(6)の前で弓を引いてみせると、大根を担いできた父の時政(31)の真横をかすめてしまいます。ちっとも娘らしくしていない政子にキレ気味の時政。遠藤憲一パパいいねいいね!時政さんの娘になりたいです。「あーもう足拭け、ほら!」とかキレ気味に言われたい。

「小四郎」は四男という意味ではなく、父である北条四郎時政の子どもという意味。敦盛を討ったことで知られる熊谷次郎直実は、息子の直家を「小次郎」と呼んでいました。

一方の頼朝(22)は、第32回で我が子を殺されてからというも廃人モードまっしぐら。千鶴丸を亡くしたのが仁安2年なんで、頼朝は1年くらいこの調子らしいです。庭をうろうろしてる頼朝への藤九郎の台詞、「戻りましょ?」「裸足じゃないですか〜」がもう、徘徊老人を連れ戻しに来た家族の台詞めいております。

舞台は京に戻り、ツルツル清盛のお披露目。一門の面々を前に「福原に移住する」と宣言します。

本作で使われている剃髪の特殊メイクはすごく良くできていて、「本当に剃ったのか」と思ってしまうくらいです。しかし!やはり本当に剃った頭は青さが違います。時子(43)も一緒に落飾しました。頼盛(37)がめっちゃ驚いてる!(狩衣に折烏帽子という組み合わせは初めて見ましたが、大宰府から急いで来たという設定なので、動きやすい折烏帽子なんでしょうね。)

清盛が福原に住むと聞いた後白河院(42)は、平家につながる憲仁親王(8)の即位を決定。仁安3年2月19日、憲仁親王が即位して高倉天皇が誕生します。母は時子の異母妹、滋子(27)。

(ちなみに、先帝の六条帝は2歳で即位して5歳で退位。上皇となったときにはまだ元服しない童形のままでした。何がどうなっているのか、分かってなかったでしょうね…。8年後、13歳の若さで帰らぬ人となります。)

高倉帝の御世となり、宗盛(22)ら時子腹の子どもたちの扱いが高くなり始めます。面白くないのは、本来なら平家嫡流である頼盛。

で、再び伊豆。
三浦義明・上総常澄・佐々木秀義・北条時政という小汚い東国武士ーズの飲み会。一応名前がテロップで出るのですが、誰が誰かよく分かんない…と思ったら回想シーンになり、波多野邸の宴会シーンにきたろう常澄が出てる!? きたろうさん初登場かと思ったら、早くから出てたんですね。気付きませんでした。(ちなみにこのシーンは、第11回「もののけの涙」。約半年前の放送でした。)

「そういや時政殿にも娘さんいたよね?」「早めに縁談考えた方がいいんじゃね?」という話になったところで、イノシシを担いで政子登場。呆気にとられる東国武士ーズを前に娘の縁談のことなんですけどなどと言い出す時政さんは天然ボケなのか。無理すぎる。

福原では清盛が邸宅のリフォームを始め、兎丸も巻き込み、貿易港づくりが始まります。いきいきしてる清盛。

京では、教盛(49)が参議に任じられましたが、頼盛は置いてけぼり。福原の清盛は「頼盛…あれは優れた男子じゃ。頼盛がおらねば、平家の繁栄は保てまい」と言っていますが、そういうことは直接言ってあげないとさあ…。頼盛が「自信喪失なう」ですよ。

その頼盛は、八条院&以仁に取り込まれつつありました。嫡流なのに疎外されてる以仁に共感するでしょ?という八条院。頼長と家盛を取り込んで利用しようとしたのに重なります…。そして10月、頼盛は念願の参議に昇進。

ところが11月、頼盛は全ての官職を解かれてしまいます。福原に呼ばれ、「もう平家一門でいたくない、追い出してほしい」とまで言う頼盛に、清盛が明かしたのは福原遷都計画

「上皇様の目の届かぬ」という「目」、言葉通りの「目」とも取れるし賽の「目」とも取れます。上皇の賽の目で動いたりしない、上皇の盤上から飛び出すぞ、と。一つの言葉にダブルミーニング。

「賀茂川も海も同じ」は無理がある、というのは確かにそうですが、白河院は「雨水の禁獄」をやってみたり、とにかく「水」を「思い通りにならないもの」と捉えていたのではないでしょうか?一方、水を「思い通りにする」と大工事やっちゃう清盛―という思考の対比なのでは。(まあ少々説明足りんけど)

伊豆では徘徊青年・頼朝を物の怪と思い込んだ政子が網を掛けて捕獲したり、鞍馬寺では神木遮那王(10)がお披露目されたり。源平の人々の交錯は、まだ少し先のことでした。

2012/10/05(金) 「ディープ・ピープル」を見た。
10月4日(木)午後10時からNHK総合で放送された「ディープ・ピープル」を視聴。大河ドラマ「平清盛」に出演した&している加藤あいさん、深田恭子さん、愛原実花さんが、見所や苦労話を語り合いました。

・大河ドラマ通の松村邦洋さんが清盛の扮装で登場。「平清盛」は面白い!と称賛。大河を長年見ている人が褒めてくれると、うれしいです。(←別に私がドラマを作っているわけでもないのに、「褒められるとうれしい」という感覚になってしまうのが不思議と言えば不思議なんですけど)

・清盛のプロポーズシーン、久しぶりに見たらなんかおかしくて笑ってしまった。

・上西門院が抱っこしている白猫は2匹いる。

・平家で飼われている白い犬は福来(ふく)ちゃん。

・松ケン清盛は本当に表情豊かだー。20代・30代・40代…と見てくると、顔つきが全部違ってるからすごい。

・生田さん役の伊藤修子さん登場(なぜか生田役の衣装のままで…)

・着物の立ち居振る舞いは難しくて疲れる。洋服は楽。

・加藤さんも深キョンも話し方がおっとりしてて天然っぽいんだよね。自然とお姉さんモードになって進行役を引きうけるのが愛原さん、みたいな。

 うん、面白かった。こういう企画、男性陣でもやってほしいですねー。

2012/10/04(木) 更新情報&拍手お礼&「大奥」雑感
○拍手お礼
9月30日に拍手下さった方、ありがとうございます!
またおいでいただけたらうれしいです^^

○更新情報…というか、修正情報:
「へいけものがたりがたり」内、「人物考」の「閑院流」と「村上源氏」に記述の誤りがありましたので訂正しました。間違えている箇所が意外とありますので、見つけたら指摘してやって下さいませ。

○「大奥」雑感

 MELODYで連載中のよしながふみ「大奥」が、吉宗編に続いて家光編、綱吉編がそれぞれドラマ化・映画化されるそうで。

 原作、面白いですよね。なぜか、登場人物が年を取ってくると俄然いい場面が多くなってくるように思います。
・年を取って足腰の弱った春日の局を介護する有功
・おばさんおじさんになってから愛を告白し合い、抱き合う綱吉と右衛門佐
・しわしわの老人同士になった桂昌院と永光院の再会

などなど。なんでだろう。うまいなーと思います。人間のどうしようもない身勝手さや権力欲、野心、蹴落とし合い、大切な人と分かりあえない悲しみ、孤独…といった、誰にでもある心の薄暗い部分をガンガン突いてくるドラマになってるんですよね。大奥が舞台なので、閨房の場面は当然多いのですが、単なるエロティックなマンガになってない。私この作品、すごく好きです。

…んですが、こういう人間描写にすぐれた作品もフジテレビの手にかかると「めくるめく愛欲とエロ」に終始してしまいそうな懸念。

 そして、有功を演じるのが堺雅人というのも疑問…。右衛門佐なら年齢的にちょうどいいと思いますが、有功は20代の役者さんがいいと思うけどなあ。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.