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2007/05/07(月)
純粋な瞳に映るは、紅い衣の魔女。
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先日。 バイト先で本を捜す姉弟が居た。 多分小学生低学年だ。 ずっと児童書コーナーに居座って、恐竜やら携帯獣やらを読んでいて。 買う買わないで盛り上がっていた子供らに、僕は言った。
「ポケモンの本なら、此方にもありますよ。」
ただ。 僕はバイトという名の店員として。 本を捜すお客様に。 オススメの本を提示した、それだけなのに。 彼は目を丸く、本当に真ん丸くして僕を見上げていた。 そして、後からきた老人(恐らく身内だろう)に、こう言った。
「この人、聞いてもいないのにこの本おしえてくれたの。」
お節介、という意味ではなかったらしい。 少年は老人にその本を持たせて、レジへと向かったから。 気を使っているような様子も、特になかった。 姉や老人の方も、占いの本を買うか買わないかを話題にしていたから。
彼、は。
僕のとった行動が、物凄く不思議だったらしい。 自分が欲しい本の居場所を知っていた僕が。 不思議だったようだ。 老人は「お前の顔に『欲しい』って書いてあったんだろう。」と笑っていた。 実際は、顔を見たのは話し掛けた時だけなのだが。 あれだけ真剣にイーブイの進化を討論する姿を見たら、誰でも分かると思うのだが。 まぁ、ポケモン自体好きだから反応してしまったというのも、あるだろうが…。解らない、ものなのか? そんなことは、無いと思うのは僕ダケなのか?
コミュニケーションの問題の話は時々聞く。 相手に嫌われたくないから同調したりとか、濁したりとか。 そういう家庭かもしれない。 そういう風潮なのかもしれない。 そういう国なのかもしれない。 そういう世界なのかもしれない。 人はそれを『自分を押し殺している』と言う。
でも、本当は。 『自分が無い』だけなのかも知れない。
自分が無いのだから、自分の事など理解出来ない。 何が楽しいとか、辛いとか、嬉しいとか、悲しいとか。 籠の中で過度の加護を受けた、雛鳥達は。 何も知らない事が、当たり前で。 何も考えない事が、当たり前で。 だから、当然。 他人の事など解る訳もない。 小さな子供なら、まだ自分が少ないのは良いとしても。 そのまま、大人になってしまったら……。
最後まで、彼は僕を物珍しそうに見ていた。 それが、ある意味答えなのだろうか。 それともでまた要らぬ心配をしただけなのか。
出来るならば、後者であって欲しいものだ。
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