美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2010/01/10(日) 「犬を餓死させる展示」のことてす。
これは大変シビアーな問題で、「アートとは何か」というのと同義だと思われます。
(とにかく私のhpへ)
http://ww7.enjoy.ne.jp/~hirosipur08/

アーティストが、「これが自分のアートです。」として提示(展示)した場合、
それがどんなものであっても、他者が、「いいえそれはアートではない」とはいえません。
表現とはそういうものです。

壁に飾って倦怠的な日常に寄与するインテリアとしてのアートは、
もうとおの昔(100年も前)に終わっています。(ピカソ)

生ぬるい煮え切らない繰り返しの日常に対して、荒々しく爆弾を投げかけること(比喩)もアートの一つのやることと思っています。


絵葉書のような旧態依然とした陳腐な自然模倣の絵空事のアートや、

可もなく不可もない人畜無害の安っぽいアートや、

作者自身の深部を通過しない上っ面だけのアートや、

セレブといわれる人種のリビングに飾るコジャレたインテリアのアート、

等などが散乱して、幅を利かしている今日的情況では、

公序良俗に反しても、非常識でも、多少残酷でも、リアリティがあるアートに、感じますし、信じられます。そういう表現が、ひとつのアートの真摯なあり方だと思います。
(良く知られているところでは古くは、ボッシュ、ゴヤ)


アートはアーティスト(表現者)の世界に対する内面の格闘です。

昨今の非常にキツイ世界情況にあって、表現者として上述のようなアートを「イージーに造ってはいられない」と考えるのが現在を生きる良心的なアーティストの本当のところだと、




なぜなら、コトはさておいても、何事にも組しない「表現の自由がある」ことを知っているからです。





本屋の店先には、必ず見られる、凡百のうわべだけの可愛いさだけを売り物にした犬、猫、動物の写真集やイラスト集がうず高く詰まれていますが、それらよりは、氏がやったことは、残酷ではあっても、現在の動物の置かれている現実を象徴しているとわたくしは考えます。

誤解を恐れずにもう一度繰り返します。 それらよりは(人間の一過性の癒しになるためにかれらが、使役、消費されている見本です)、氏がやったことは、残酷以外ナニモノでもありませんが、ことの負の本質は突いていると思います。

今日本では30万〜40万ぐらいの犬、猫が年間、人間の身勝手で殺されているという現実がありますし、そしてどれだけの数の彼らが日々虐待を受けているかは数字に表れていませんが、想像に難くないと思います。





それを、痛ましくも愚かな行為であると糾弾するか、仕方のなき行為として黙認するか…


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