美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/09/01(月) 大阪市立美術研究所物語 7
人間、若い頃の夢は奔放であり、その奔放さ故に自分自身、如何していいか解らぬ時が俺の高校生時代だった。

毎日、破裂しそうな想いを車を無茶苦茶走らせる事で発散していたのだ。

そんな折、難波へ遊びに行って似顔絵を描いて貰ったのが大阪美術研究生だった儀間比呂志である。確か二百円だったと思うが、氏は俺の顔を喰いつく様に見ては一枚描いては破り、二枚描いては捨て、何時終わるか解らぬ描き方に俺も苛立ってきた。

「あんさん、もういいわ、金払うから・・・」と言うと「君は人生を急ぎすぎており、自分を粗末にしているのではないか・・・」とまた画用紙と格闘するのだ。

俺はこの一言がすごく胸に響き、それからロシアの似顔絵描きニコライ・ガノー等の話になったのは、こちら倉敷・大原美術館の楚である児島虎次郎と日本孤児院の創始者・石井十次の娘との結婚話のときニコライ・ガノーが出てくるので記憶にあったからである。

 その似顔絵は漫画的ではなく、鋭い線で俺の不安、憂い、あるいは愚かさ、野卑等、内面を表出し、己とは何者なのかを問うているようであった。

似顔絵といったら、似ていることが全てであると思っていたが、そうではなかった。

その絵は自分の気持ちや内面までも描いてあるようでズッシリと胸にきた。そして自分の思っていた顔と違う絵に向き会ったのは新鮮な驚きでもあった。その絵から将来に向けての道を必死で見つけようとしている自分にも気付いた。何回見ても見飽きなかった。

以後その似顔絵は俺の宝物になり、結局、儀間比呂志氏に感化され、高校を中退、大阪美術研究所の門を叩くのである。


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