美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/08/02(土) 大阪市立美術研究所物語 2
大阪市立美術研究所・雑感


東京が銀座なら大阪は心斎橋である。
大正15年(1925)に大阪市の人口は東京市を越えて世界第六位の都市となって名実共にメトロポリス=“大大阪”になったわけである。ちょうど今年、昭和十年代くらいまで栄えた大阪のモダニズム美術の展示があると言うので行ってみた。 
 会場は元の出光美術館跡で心斎橋の真ん前であり、全体のインテリが、なんだか世俗的な旦那の道楽・商売って感じである。   まずモダニズムの中心だったデパート大丸とそごうの美麗なアールデコ建築・内装はいまも健在でなかなかすごいものだったね。
 正面に屏風に仕立てた漆螺鈿装飾扉が訪れた人を会場内に誘なうかのように展示されている。漆の黒に螺鈿の細工、今も真珠色に光が放たれ誰もがしばし目を奪われる。有名画家によって描かれた艶やかな着物姿の女性のポスター達が流し目でこちらを見る。赤松麟作の「裸婦」の光と陰影の捉え方の巧みにその場に佇み、中村貞以の「失題」の豊満さに心を躍らせる。今も昔も女性が主題。
その頃の浪速男は「船場で店を構え、ミナミの盛り場で遊び、帝塚山・北畠の邸宅に住み、白砂青松の浜寺(堺市)に別荘を持つ」のが成功者の一つの姿であった訳だが・・・
 大阪・心斎橋の下には長堀川が流れ材木の原木が集積し、金と人の集まる所に文化の華が咲くのも自然であろう。
 そんな一人に、今でもお馴染み「歯痛薬「今治水」を発売して全国的に有名となった森平兵衛という人が、昭和5年に丹平ハウスというビルを建て、大阪の新しい顔となるのである。
 アメリカのドラッグストアを参考に1階店舗内にソーダ・ファウンテンを開設すると共に写真用品売場も設置、階上には貸し事務所・写真スタジオなどのテナントが入居した。「丹平写真倶楽部」は写真倶楽部「浪華写真倶楽部」で活躍していた上田備山、安井仲治が中心となって丹平ハウス2階を活動の場に会員11人を集めて結成したアマチュア写真倶楽部。「浪華写真倶楽部」から分かれて結成され、棚橋紫水・本庄光郎・吉川源次郎(丹平ハウス支配人)や手塚粲(ゆたか、手塚治の父)が活躍した写真倶楽部は赤松洋画研究所(明治40年に洋画家・赤松麟作を中心に梅田に誕生した研究所)をも活動拠点とし、「浪華写真倶楽部」「芦屋カメラクラブ」と共に関西モダニズムの中心的な写真倶楽部となるわけだ。

 故に森氏の「丹平ハウス」がなければ佐伯祐三も手塚治虫も後で話す、日本を揺り動かした芸術家が誕生しなかったと言っても過言ではない。
                              続く


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