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2008/06/22(日)
「漠然とした不安」の遺書残し、自殺した芥川の「蛙の話」より
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皆々様、恙無きや。老生は無異、ご放念下されたし。
さて今日は芥川龍之介の「カエルの話」から始める。 それはある池にカエルが住んでいるのだが、時々、ヘビにカエルが襲われ犠牲が出る。そこでヘビにカエルが襲われないにはどうしたら良いか、という相談になって、結局、池の周囲に金網を張ることになった。それを聞いたサーリブッダみたいなカエルの長老が「そんな事をしたら、この池はカエルが増え過ぎてそれこそ全てが絶滅する。時々、我々の仲間が犠牲になるのも全てを生かすことに相通ずるのじゃ」という意味の事を言う。つまり生物の密集斃死であり、全ての自然は自然淘汰の中で生き永らえているのだと。
ところが幹部連中は長老の話しなど無視して今度はトンビにカエルが襲われたことによりドームを作ってしまう。池の周りをコンクリートにする。巣穴を高層ビルにする。食料は他所の池から輸入する。全てカエル至上主義において改革していくのであるが、確かに住みやすい。しかし、どうも呼吸困難とある種のカエルは気付き、その連中は一刻の安らぎを求めて他の池に旅に出るのだ。
ところがその後、この池はどうなったかと言うと、池の魚は白い腹を空に向け絶滅し、無論、カエルも全て死に絶えたという話である。この寓話が未来の日本を具現していなければ良いのだが、どうも小生には営々としてその方向に突走っているように思えて仕方がない。
所詮、生き残るのは官僚とゴキブリぐらいかな・・・・・
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