美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2010/05/12 大阪で昆布屋
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2008/04/16(水) 日本民族はすでに滅びている。
数日前中国の温家宝首相とブッシュが握手をしている映像をテレビで見ました。二人の殺人鬼が握手をしていると思ったのでした。
チベットの僧侶が民衆の先頭に立って中国の支配に反対するために立ち上がり、連行されたのに対して民衆の暴動があり、中国軍は殺戮を繰り返しました。
昨日ダライ・ラマが日本に立ち寄り記者会見をしていました。
ダライ・ラマは
「自分はチベットが中国の一部であり決してチベット独立を求めているのではない。しかしチベットの民衆の怒りが何故あったのか考えてもらいたい。チベット自治区に自由がないのである。完全な自治を私たちは求めるのである。私は抗議の行動が非暴力であることを望みたい。」
そういいながら中国政府の暴挙に対して抑えがたい憤りを隠せないでいました。
チベット人民の決起は新疆ウイグルの民衆の決起に連動し大きなデモが起きています。そしてまたしても中国軍の弾圧は繰り広げられたのです。
中国政府は漢民族以外の民族の弾圧をやめよ。
各民族の宗教、文化を尊重せよ。
諸民族が独立を求めるならば民族自決の精神に基づいて独立を認めよ。

文明や文化は世界史を見れば一様に進むものではなく、遠い昔にはエジプト文明、メソポタミア文明、バグダッドを中心にしたサラセン文明、インカ文明、カンボジアのアンコールワットの文明などがあり勿論中国の運命もありました。それらの遺産は計り知れないほど深く、現代の西洋文明もその一つであるに過ぎないと思います。その西洋文明も今では精神性を失い科学技術のみを至高のものにしているがそこで起きる矛盾はいたるところに病弊を撒き散らしてきました。
そのような中でイスラムの反抗、仏教徒の反抗が民族主義として巻き起こっています。
日本のアジア市場への圧倒的な進出、あるいは経済侵略をアジアで見ているとなるほど先端技術を必要とする自動車や家電機器は圧倒的なのですが、決して日本の文化がアジアにいいものをのこしているとは言えないと思えるのです。
かつてジンギスカンがヨーロッパから中国まで支配したことがあるが騎馬民族の野蛮な支配はあったがまったく蒙古民族の文化を世界に広げたのではなく、侵略した諸国の文化に埋没してしまったのです。
文化を持たない民族の支配はその支配がなくなれば荒廃しか残さない、僕は大国といわれる日本が世界経済を荒らしまくった今現在、未来に渡って何物をも残せないのだと思うのです。なぜならば日本には日本固有の文化があったのですが戦後その文化はアメリカ文化に取り込まれてしまってアイデンティーを持っていないからです。このことを考えると日本民族はすでに滅びている。

そちらの大原総一郎氏が「戦後、日本は戦争以上の悪いことをしてしてしまって、今、尚、進行中である」はまさに至言で、これらは安保を結んだ吉田茂の残骸にしがみつき、二世・三世議員が国会の半分以上占めているのが「悪の根源」ではないかな。

故に「もう、日本は駄目だ」と本能的に知悉している日本女はパンパン・ガールは外国男と結婚し、海外に流出しているよ・・・・

2008/04/15(火) ご意見承りたいです。
野外でスケッチしていると通りがかりの人が(オバサンが多い)が描いている絵をみて、「いい趣味ですね」と声をかけられます。褒め言葉のつもりでしょうが、自分にとっては、時々絵も売れているし、美術団体の会員でもあり、多少はプロ意識もあるのですが・・・。“あなたは素人だ”と云われているようで、未知の他人が「趣味」と断定する発言にムカツキます。 そんな事感じたことありませんか? ご意見承りたいです。


絵を描くことが僕たちにとて命がけなのですね。どれだけの画家たちが絵のために早死にし、絵のために自殺したか。
「いい趣味ですね」
ばかたれ、あほんだら、ぼけなす、ブタ野郎,死にやがれ。

2008/04/12(土) 5月の8日ぐらいに出立するつもりです
大体5月の8日ぐらいに出立するつもりですが長期滞在ビザを取るのは大変です。いったんは現地に行って住まいを決めねばならないし、タイ人の保証人を見つけねばならない。そして一人80万バーツ(280万円)二人で1600万バーツの預金残高証明書を見せねばならない。警察本部で無犯罪証明書を発行してもらわねばならない。日本で両替すると1バーツが3.7円でタイの両替ならば3.5バーツだからその差額も80万バーツになれば4万バーツの差が出るので日本円にすれば14万円になるから相手国で両替しそこで長期滞在ビザを申請することにしました。
だが問題は片道切符の航空券をとるには観光ビザが必要になります。そのビザを取るために航空券を見せねばならない。無犯罪証明書や預金残高証明書を取るのに1週間から10日かかる。
タイの格安航空券はある会社では往復4万円ですが、片道は8万円になるのです。往復券を買って帰りをキャンセルできない。なんだか頭が痛くなります。
航空券のほかに燃料チャージ代と入国税が約2万円。
観光ビザを申請してそれが必ず降りるかは不明だから明日領事館に確かめに行かねばならない。そのために半日かかる。
そして今すんでいる家財道具や諸々を田舎の家に運び込むための引越し準備が大変です。何日もかかります。今日はそのためにくたくたでした。

だが向こうに入ってしまえばもうわずらわしさは亡くなります。ところで年金だが介護保険料と老人何とか日を差し引かれることになったので6万そこそこになってしまいました。日本政府ってめちゃをするよ。これからも新しい法律が出来て何が年金の天引きも考えられます。

今のところ妻の年金はまだ下りないので6万で暮らすのですが油断できません。しかも向こうで稼げば国外追放てなことになります。それでも行きたい。
雪さえすれば絵が描ける。ほんとうにいい絵を描きたい。雑用も終わる。そんな楽しみがあるからあと一月のわずらわしさも我慢ができるのです。


2008/04/11(金) 雑用は敵だ
昨日から食器などを新聞紙で包んでダンボールに詰め込んでいます。何せガラクタの多いこと。長期滞在の手続きやなんやかんやで出発するまで絵を描けそうにありません。
チェンマイの家に落ち着ける日が待ち遠しい。僕は結婚して以来どういう因果か3度の飯は僕が作らねばならないことになってしまったのですが、実にわずらわしいことでした。
チェンマイの家に落ち着けばもうご飯の用意はしなくてすむ、その分だけ絵が描けるのです。
ピカソは言う。
「雑用は敵だ」
と。
その雑用がなくなるのです。毎食外で食っても1日夫婦で1000円あれば足りるのです。
絵を書くというのはリズムです。やっとリズムに乗りかけたら雑用が邪魔をする。するともう一度筆を取るときエンジンをかけなおさねばならない。やれ筆を持てば絵が描けるというものではない。
やっと絵に没頭できる環境が出来ると思うと嬉しくてならない。

2008/04/10(木) さて気楽トンボの話に戻ります
さて気楽トンボの話に戻ります。
やっと住まいの問題が解決して二人は自転車を買ってホテルを出てチェンマイ市内を回りました。
チェンマイの中心部は入るには大きな川を渡ります。川を渡ればにぎやかな街に入ります。骨董屋や家具屋、繊維を売る市やバザール、屋台などがいたるところにあります。そして最も中心部は堀と城壁に囲まれた1.5キロへー法メートルの正方形の古都に入るのです。川を越えればワット(寺)がいくらも見られるのですが城壁の中は京都のようにワットがいたるところにあります。ワットの入り口は竜の彫刻があります。その中に仏塔が建っています。その仏塔は三角錐でレンガを積み上げたものでそこにお釈迦様や象などの彫刻があるのです。仏塔はまるで小山のように大きなものもあります。誰でも自由にワットに入れるのです。仏塔のほかに僧房や本堂などがあるのですがそれらの建物の外には本尊を守るためのさまざまな彫刻があるのです。得体の知れない動物や、スフインクスのようなしかも肉体美をさらけ出した像もあれば、可愛い合掌する人形のような彫刻があります。
そしてご本尊のお釈迦様はまばゆいばかりの金箔が座っています。
これらのどの像を見ても日本の仏像のように侘びやさびとは縁遠い、野性味とエロチシズムを覚えるのは僕だけだろうか。僕には東南アジアのこの国の仏教にはそれ以前にあったヒンズー教が合体したに違いないと思えたのでした。
ヒンズー教のもっとも有名な美術にはカンボジアのアンコールワットがあります。アンコールワットの美術の女性像はおおらかな性的表現が僕らの時代の知性をあざ笑うような迫力を感じさせるのですが、タイの仏像がまさにその影響を受けています。
キンキラキンの釈迦像は一糸まとわぬ裸であるのみか胸のふくらみははちきれんばかりの女性の体です。あの有名な涅槃像は釈迦が寂滅した時の姿とはいえ、横になって寝転ぶ豊満な肉体の女性像なのです。
僕は思うのでした。芸術とは?なんて。人間の中にある動物性を引き出す行為なのだったと。僕は現代文明に飽きて何かを求めていたような気がするが、その何かがタイの美術にあったんだと感じたのです。
道を歩く時歩道に街路樹の根元に花を飾りコーヒーを供え線香を立てているのにたびたび出くわします。文明というもの、哲学や論理がいつしか立ち木に神が存在するという詩情を現代人は失ったのではないかと言う気がしたのです。森には森の精があり、水には水の精がいるのが見えなくなった現代人の感性に疑問が出てきたのです。新しいものを得たと思えば失ったものの大きさを忘れているのではないか、そんな気がしてなりません。
そんなあたりに僕の芸術的な感興が湧いてきたのです。


2008/04/09(水) 衣食住
心置きなく絵が描ける、本当にそうなると思います。いったんタイから日本に帰る飛行機に乗ったときこのままUターンをしてチェンマイに戻りたいと思いました。
チェンマイでは自堕落に昼寝をしたり、食べに行ったり、テレビを見たりしていたのでした。テレビはタイ語の放送なのでさっぱりわからなかったのですが、ニュースを見ていても日本のことはまったくわかりません。毎日ニュースを見ていたが殺人や凶悪な犯罪のニュースを一度も見たことがないのでした。
ところが日本に帰ると、会社社長の死体ががボストンバッグに詰め込まれて山の中で白骨になっていたとか、母親が子供を電気コードで絞め殺したとか、まるで地獄のようなニュースが流れています。だが明日には子供が親を殺し、あさってには姉が一家を殺すというニュースが前のニュースをかき消してしまうのでしょう。異常な殺人が日常性になってしまっています。もう日本人はそんなことには免疫になって話題にすらならない時代になったのですね。
勿論タイには社会矛盾がないわけではないのですが、まだ人情があふれるほど残っています。僕は人間にとってどんな世界が望ましいかと常に考えてきたのですが貧しくとも笑顔があふれる国に、日本の過去にあった、そして未来に取り戻さねばならない文化を見たのでした。
想像したよりもはるかに多く描きたいものが見られた事は僕の絵に新しいものを付け加えてくれるかもしれないと思ったのでした。

2008/04/08(火) 帰国
今朝帰りました。タイのチェンマイ郊外に1万円の家を見つけて契約をしました。
10日間チエンマイの一泊1000円のホテルに泊っていました。
今回の目的はチェンマイに住まいを探すためのものでした。偶然知り合ったタイ人の女性のMAIさんがインターネットで調べてくださった借家を彼女のタイに住む中国人の友人のつてで訪ね歩いていたのですが僕のほうの条件は家賃が2万円未満のもので実際に行って見ると3万以上だったり、狭すぎたり非常に苦労をしました。そしてタイ長期滞在のための保証人を作るのも始めて行くタイですからある時は絶望的になったりもしました。
しかしMAIさんがその友人に僕たちはいい人だから保証人になってあげてくださいという電話をしてくれてその中国人は男らしく引き受けてくれて窮地を脱したようなしだいです。そしてもう家探しもあきらめかけた時にチェンマイ郊外に小さな家を見つけたのでした。
まわりは田んぼと林で美しい風景に取り囲まれています。
家の広さはベッドルーム二つと応接間一つであとはキッチンルーム、バストイレになっています。大きくはないが庭がありガレージもついています。しかも家賃は1万円。僕たちは1年分の家賃を支払って契約をしました。
契約書はタイ文字で書かれているのでさっぱりわからないのですがその中国人チャンリンさんが訳してくださり保証人のサインもしてくれたのです。
これで住の心配はなくなったのです。食費は非常に安く、ホテル住まいの間は3食とも露天の外食でしたが一日1000円で贅沢なほどでした。家賃が10000円、食費が30000円、衣類はTシャツが200円、ジーパンが150円、その他の費用を見ても5万でゆとりのある生活が出来ます。さしずめ始めは家材道具を買わねばならないのが辛いのですが一時のことです。
衣食住の心配がなくなり、お金の心配がなくなったことがどんなに嬉しいことか、僕ほどの貧乏をした人にしかわからないと思います。5月の7日ぐらいに移住します。
次に大事なことはチェンマイにはどんな人々が住み、文化はどのようなものかということなのですがそれについてはぽつぽつと描きます。
今はタイの夏なのでやはり暑いのですが日本の夏のような不快さはありません。だが帰りの飛行機に乗るときジャンパーなどを格納庫に入れて夏の格好で乗ってしまったのでクーラーの寒さに参ってしまいました。おなかを冷やしたので下痢になり今日はとってもしんどいのでこのあたりにします。毎日チェンマイ紀行を日記風に書いていましたのでそこから抜粋して投稿するつもりです。


2008/04/07(月) 自給自足・・・
野菜は畑からとって、魚は魚つりでとって、それ暮らせたらなにも言うことはないですね。
僕は田舎に家を持っていますが妻がエアロがなければ住めないというのでタイへの移住を考えたんです。チェンマイで暮らすなら向こうの人は月に4万で暮らしています。僕の年金が6万だから何とかなる。11月から退職した妻の年金が8万入る。そうすればお金の心配なく暮らせる。絵を売らなくて繰らせるなら、思う存分絵が描ける。
情けない話ですが単純にいえばそれだけのことです。

2008/04/06(日) タイですか?
うん。行くところはどこでもいいのですが一つは自由のある国、二つ目に物価の安い国、三つ目に情愛のある町、それだけのことです。要するに日本じゃあ夫婦の年金では食えないし、絵が売れないし、生きてゆけないからです。
もっといえば日本の未来に希望が見えません。難民です。
絵を売らなくて生きて行けたら三昧でもっといい絵ができます。

2008/04/05(土) 僕はタイに移住する予定にしています。
僕はタイに移住する予定にしています。
20日ごろから10日間ぐらい向こうでの住まいを探し、いったん帰国してから今の住まいを整理して再出発します。

2008/04/03(木) 私はタイにいくかも知れません、さて・・・・・
私はタイにいくかも知れません、さて・・・・・

ドストエフスキーの「貧しき人々」は処女作だった。この作品に感動したネクラーソフは当時の大批評家ベリンスキーの許を訪れ「新しいゴーゴリが現われた」と叫んだ時、相手は「君たちのところではゴーゴリがキノコのように生えてくるのか」といったというが、ベリンスキー自体すっかり感動してしまいドストエフスキーに会いたがったのであった。
 僕は昨日読み終えたあと今も余韻が残って頭がボーとしている。
まだ中学二年生のことだ。「ロシア三人集」という分厚い本が家にあって 、僕は病気で寝ていたからずいぶん熱心に読んだ記憶がある。ゴーゴリ、チェホフ、ゴリキーが収録されていた。ゴーゴリでは「検察官」、「タラスブーリバ」。チェホフは「桜の園」、ゴリキー「どん底」が載っていて豪快なコザックを描いた「タラスブーリバ」には夢を踊らされ、戯曲の「検察官」と「どん底」は台詞まで覚えるのだった。中学生の記憶力はすごいもので今でも部分的に台詞が言えるのです。チェホフはデリケートで理解できなかった。十数年前にチェホフを読み漁った。
 中学生のその頃ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」を読んだのであるが難しい本だった。成人してから「罪と罰」を読んだがこれは凄かった。
 ペテルブルグの貧しい学生ラスコーリニコフが追い詰められた心境から質屋の婆さんを襲い斧で殺して金を奪う最初の心理描写は殺人者の内面が克明に描かれるのだと恐ろしくさえなったのである。彼はその犯罪を隠すのだがある時下級官吏の貧しい男に出会い、その娘のソーニャを知る。官吏の貧しい生活、そんななかでソーニャは売春婦となって家族を助けていたのだが彼女の心は美しくやさしく、ラスコーリニコフは彼女に会うことによってすさんだ心を癒されるのである。
しかしドストエフスキーから随分遠ざかっていたし、彼のレアリズムと重厚な内容を敬遠してそれ以来遠ざかっていた。
 今再び「貧しき人々」を読んで改めてドストエフスキーを読む気になってきた。
それは僕が絵画に対して甘い考えを持っていることをこの偉大な作家によって突きつけられた気がするからである。日本の最近の絵画も文学も売らんがために絵空事になっている。本当に貧しい人々や苦しむ人々を描く事を避けている。ドストエフスキーは救いようのない世界を真っ向から描いた人である。まったく美化しないが、しかし,底には美しいものが流れている。目を背けたくなるような「貧しき人々」の中に出るマカール・ジェーヴシキンとワーレンカの愛は純粋であり、貧しさのために破滅してゆく現実は救いようがないがしかも美しいのである。それはラスコーリニコフとソーニャにもいえる。現実の醜悪さの中にあって底辺に生きる人間の美しさが描かれるのである。マグダラのマリアをなぜか連想するのである。
 僕は考えねばならない。僕はなんという絵を描いてきたのか。タイにもし住むことが出来れば僕は底辺の人々を深く見つめ描かねばならないと思うことになった。これで目的ははっきりした。ドフトエフスキーをもっと読もうと思う。今ならわかる。中学生ではないのだから。そして人生の酸いも甘いも噛み分けられる年になったのだから。レアリズムに戻ろう。


2008/04/01(火) 横塚先輩は男でござる。
横塚先輩は男でござる。



 横塚先輩、懐かしい情報有難うございました。
 研究所の喫茶店は「マロニエ」でしたよ。確かにマダムは上品な方でしたね。そして私みたいな無法者でも許容して頂いていたのですから、すごい人で田川寛一氏ならずともモデルにしたい人でしょうね。
 では研究所の画材店が「瑠樹」あるいは「月光荘」「河内」いずれであったのでしょうか。そこで私は画材を時々くすねておりまして、後であった時全てお見通しでお金はかえしましたが・・・・・
 いずれにしろ研究生には優しく、少しのことは大目に見て頂き、私が出世すれば御礼にいかなければならないのでしょうが、これは無理でしょう。
 ところで館長の望月氏は東大卒後、京大大学院修了。仏教美術・南画研究者、美術鑑定家の第一人者で我々ごときは足元にも近付けませんでしたよ。その方に抗議されるとはさすがtyan1126 先輩は男でござる。

 スケベな東光会の家永喜三郎、片腕の石井元、辻司、私はこの人はたいした人物ではないと思っていると案の定、大阪芸大教授におさまってしまってますね。それにしても行動美術の小林武夫氏が出てきませんね。氏は私と同じ箕面で非常に可愛がって貰いましたよ。それと日展の松田忠氏、この人もなぜか私に好意を寄せてくれましたよ。

 さて横塚先輩の絵「南京虐殺図」、私のホムぺに許可なく貼り付け申し訳ありません。三つのホムペにtyan1126 先輩のアドレスとともに公開していますが良き注文ありましたでしょうか。私は所詮、似顔絵描きですから油絵などや重厚な肖像注文はtyan1126 先輩の方に回すようにします。

 しかしホムペでの注文はあまり期待しないでください。私の注文は大半、大原美術館前でいただいたものですから・・・・

 本当に有難う御座いました。お互いローソクの炎のような年齢ですのでくれぐれも身体には気をつけて・・・・


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