美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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最新の絵日記ダイジェスト
2010/05/12 大阪で昆布屋
2010/04/15 000000000
2010/03/08 次回は油絵を・・・・・
2010/03/04 浅田真央ちゃん
2010/03/02 遅くな諒としてください

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2008/03/31(月) こういう女性、日本から消滅しましたね。
現在、吉備博物館より依頼の制作途中だが、描いていて涙が止まらないのだ。この上品なご夫妻が、なんと憲法第25条が国民に保障した生存権を勝ち得た人なのです。

それにしてもこんな女性、日本からおらなくなりましたね。

昨日も天満屋が税金使って倉敷駅前に移転し、その移転セールに血眼の女が六万人押し寄せたというから、驚き桃の木、山椒の気だよ。

私の祖父さんの話によると、私の家は手広く大阪で昆布屋してましたが、西大寺の片田舎からリヤカーで「灰」を売りつけてにきたのが「天満屋」の始まりだそうです。




話がそれましたが、橋口ご夫妻の「人間裁判」に戻ります。


 橋口ご夫妻の裁判は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」−憲法第25条が国民に保障した生存権ですが、これを本当に根付かせたのが「朝日訴訟」です。憲法を暮らしに生かす出発点となった画期的な裁判闘争です。

 結核患者で生活保護を受けて岡山の療養所生活をしていた朝日茂さんが1957年に訴訟に至ったきっかけは、福祉事務所が30年以上も音信不通にあった兄を探し出し、朝日茂さんへの仕送りを迫ったことにあります。兄は月1500円の仕送りをすることになりましたが福祉事務所はこの1500円のうち日用品費として600円を朝日茂さんに渡すが、残り900円を国庫に取り上げるという決定をしました。
 月600円は、当時の生活保護基準で、肌着は2年に1枚、パンツは1年に1枚、ちり紙は一日に1枚半という、およそ人間らしい最低生活を保障するものではありませんでした。朝日さんは、厚生大臣を相手にせめて月1000円の生活必要品費を認めよと裁判を起こしました。憲法25条の定める最低生活保障を求めて毎日血を吐く重症の結核患者が生命をかけて訴えた「人間裁判」でした。

 そして、1960年10月東京地裁は月600円の生活保護基準は憲法25条違反だとする画期的な判決を下し、「国家は国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障する義務がある」としたのです。まさに憲法25条に勝利というべき判決でした。厚生省は、この判決を不服とし控訴しましたが、生活保護基準を全面改正し、日用品費の基準は一挙に1.8倍に引き上げました。

 人間裁判は、東京高裁では逆転敗訴、そして1964年の朝日さんの無念の死を乗り越え、養子となった朝日健二さんが裁判を引き継ぎましたが、1967年最高裁は「生活保護受給権は一身専属のもので相続は認められない」との訴訟終了判決で幕を閉じました。

 今、社会保障の全面改悪の下で憲法25条は完全に無視され、さらに改憲策動の中では生存権保障規定の見直しさえ言われています。今一度、この人間裁判に学び、憲法25条を守り根付かせる闘いが必要となっています。

 大阪では、それこそ生活保護基準をはるかに下回る月数万円の年金で一人暮らしの高齢者から数千円の介護保険料を年金天引きすることに対し、「憲法違反だ」とする裁判(介護保険違憲訴訟)が2001年に起こされ、介護保険料に怒る一揆の会を中心に闘われています。社会保障の一つであるべき介護保険制度が高齢者の生存権を侵害するという逆立ちした事態を告発し、高齢者の人間らしい生活と尊厳を求めた「現代の人間裁判」というべきこの介護保険料裁判を大きく支援し、介護保険改悪や障害者施策の全面改悪の策動に国民的な反撃を起こしましょう。

 映画「人間裁判」は、最後を憲法第12条を引用しています。
 「第12条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
 国民の不断の努力−闘いなしには権利は守ることはできません。改憲策動で狙われているのは戦争放棄と戦力不保持をうたった第9条とともに国民の生存権保障をうたった第25条です。今日の年金・介護・医療と続く社会保障の総改悪攻撃はその一環でもあります。
 憲法第25条の旗を高く掲げ、平和と国民の権利を守るために闘い抜きましょう。

2008/03/17(月) 最近の若い人は似顔絵描かなくなった。
人間、若い頃の夢は奔放であり、その奔放さ故に自分自身、如何していいか解らぬ時が俺の高校生時代だった。

毎日、破裂しそうな想いを車を無茶苦茶走らせる事で発散していたのだ。

そんな折、難波へ遊びに行って似顔絵を描いて貰ったのが大阪美術研究生だった儀間比呂志である。

確か二百円だったと思うが、氏は俺の顔を喰いつく様に見ては一枚描いては破り、二枚描いては捨て、何時終わるか解らぬ描き方に俺も苛立ってきた。

「あんさん、もういいわ、金払うから・・・」と言うと「君は人生を急ぎすぎており、自分を粗末にしているのではないか・・・」とまた画用紙と格闘するのだ。

俺はこの一言がすごく胸に響き、それからロシアの似顔絵描きニコライ・ガノー等の話になったのは、こちら倉敷・大原美術館の楚である児島虎次郎と日本孤児院の創始者・石井十次の娘との結婚話のときニコライ・ガノーが出てくるので記憶にあったからである。

 その似顔絵は漫画的ではなく、鋭い線で俺の不安、憂い、あるいは愚かさ、野卑等、内面を表出し、己とは何者なのかを問うているようであった。

似顔絵といったら、似ていることが全てであると思っていたが、そうではなかった。その絵は自分の気持ちや内面までも描いてあるようでズッシリと胸にきた。そして自分の思っていた顔と違う絵に向き会ったのは新鮮な驚きでもあった。

その絵から将来に向けての道を必死で見つけようとしている自分にも気付いた。何回見ても見飽きなかった。以後その似顔絵は俺の宝物になり、結局、儀間比呂志氏に感化され、高校を中退、大阪美術研究所の門を叩くのである ・・・・・


最近の若い人は似顔絵描かなくなった。描いてもプリクラみたいなものや、漫画的で、何故、己の内部を探求しょうとしないのだろうか?

2008/03/01(土) 横塚先輩は男でござる。
横塚先輩は男でござる。



 横塚先輩、懐かしい情報有難うございました。
 研究所の喫茶店は「マロニエ」でしたよ。確かにマダムは上品な方でしたね。そして私みたいな無法者でも許容して頂いていたのですから、すごい人で田川寛一氏ならずともモデルにしたい人でしょうね。
 では研究所の画材店が「瑠樹」あるいは「月光荘」「河内」いずれであったのでしょうか。そこで私は画材を時々くすねておりまして、後であった時全てお見通しでお金はかえしましたが・・・・・
 いずれにしろ研究生には優しく、少しのことは大目に見て頂き、私が出世すれば御礼にいかなければならないのでしょうが、これは無理でしょう。
 ところで館長の望月氏は東大卒後、京大大学院修了。仏教美術・南画研究者、美術鑑定家の第一人者で我々ごときは足元にも近付けませんでしたよ。その方に抗議されるとはさすがtyan1126 先輩は男でござる。

 スケベな東光会の家永喜三郎、片腕の石井元、辻司、私はこの人はたいした人物ではないと思っていると案の定、大阪芸大教授におさまってしまってますね。それにしても行動美術の小林武夫氏が出てきませんね。氏は私と同じ箕面で非常に可愛がって貰いましたよ。それと日展の松田忠氏、この人もなぜか私に好意を寄せてくれましたよ。

 さて横塚先輩の絵「南京虐殺図」、私のホムぺに許可なく貼り付け申し訳ありません。三つのホムペにtyan1126 先輩のアドレスとともに公開していますが良き注文ありましたでしょうか。私は所詮、似顔絵描きですから油絵などや重厚な肖像注文はtyan1126 先輩の方に回すようにします。

 しかしホムペでの注文はあまり期待しないでください。私の注文は大半、大原美術館前でいただいたものですから・・・・

 本当に有難う御座いました。お互いローソクの炎のような年齢ですのでくれぐれも身体には気をつけて・・・・


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