美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/02/03(日) 倉敷にがおえエレジー 題106回
俺の知る範囲では闇市時代からの似顔絵師コタロウ爺さんや山ちゃんぐらいである。

とくに山ちゃんに記憶があるのは彼ほど数奇な運命に翻弄された人間だったからである。
彼はアダ名のごとく山手の専売公社・支社長を父に持ち、何不住なく慶応大学・中等部に通学していたが、父親が今で言う汚職に巻き込まれ自殺。以後サラ金に手を出し、追われ新宿で野宿、そのままホームレスになってしまうのだ。
そこで知り合ったのが、円谷という浮浪者風の肖像画家であり、彼の手伝いをしているうちに似顔絵を描くようになるのである。


 ただ彼の特徴は絵を描きながら、客の嫌味を言ったり、ときには叱りつけて得意がって居ることである。

思うにこのスタイルは彼が好んで見にいっていた浅草のコメディアン深見千三郎の影響だろう。この千三郎は「バカヤロウ!この野郎!田舎モン!」というのが芸風で、彼の弟子にはこの倉敷出の長門勇、渥美清、それにビートたけしに到るのだ。

 なぜこんな事を覚えているかというと浅草名物・酉の市で似顔絵の合間にフランス座にいくとエレベータ・ボーイがビート・たけしなのと、その後、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺。

そのテレビを見た山ちゃんが「人間という奴はァ生きている時、死んでいて、死んだ奴こそ生きているような気持ちになる・・・」という言葉を含め印象が強かった日だったからである。


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