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2008/02/02(土)
倉敷にがおえエレジー 題105回
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似顔絵の歴史11浅草編
銀座、新宿、上野、池袋とくれば浅草であろう。
ここは江戸より最大の盛り場で、蛇を鼻から入れて口から出したり、生きた鶏を喰ってしまうというグロテスクな大道芸人発祥の地であった訳だ。 彼等は喰わんが為もあったが、見ているお前だって、これ以上の地獄に落ちるかも知れないし、生まれ変わるかも・・・という仏教的反面教師でもあったのだ。
この世を「厭離穢土欣求浄土」とみなして大道芸人はもっぱら「厭離穢土」を担当し、人々を「欣求浄土」へと、お寺や神社へと救いを求めさせる働きをしているのである。いわば神社仏閣が光輝く浄土や仏の国への入り口であるとすれば、大道芸人は人間の精神世界の闇を幻視させる装置であり、 宗教と芸能が相呼応しあって、浅草のような劇的空間を形作るようになるのである。
ここ出身の作家・池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」で浪人の似顔絵師を紹介しているし、明治、大正、昭和初期にかけて砂似顔絵の全盛期であった。
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