美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/02/10(日) 大阪市立美術研究所・雑録 @
大阪市立美術研究所の卒業生が集まって展覧会するので「お前も出品しろ」と言って来た・・・・
 大阪美術研究所は在野でそんな展覧会作っても真の芸術家など育たないと思っているのでお断りした。
しかし、私が九年近く通った美術学校に愛着あるので、雑録風だが書いてみようと思う。

 ここは赤松 麟作が創立した。
彼は岡山県津山に生まれ、明治16年(1883)一家で大阪の中之島に移る。
明治29年(1896)、東京美術学校で黒田清輝に師事。明治35年(1902)、「夜汽車」が白馬賞を受賞する。
明治37年(1904)大阪朝日新聞社(北区中之島3丁目)に入社。
明治43年(1910)、梅田に洋画塾(現:JR大阪駅の北側付近、大正11年(1922)頃、大阪駅の拡張で立ち退く)を開く。
大正15年(1926)心斎橋筋の丹平ハウスに赤松洋画研究所を設立する。
戦後、大阪市立美術研究所で教鞭をとり、後進を育てるなど大阪洋画の台頭に果たした役割は大きく、門下生に佐伯祐三らがいる。
昭和28年(1953)天王寺区で死去。


 私は佐伯祐三から数えて33人目の卒業生であり、愛着のあるところである。



画像は赤松麟作の代表作「夜汽車」


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