美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008年2月
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2008/02/01(金) 倉敷にがおえエレジー 題104回
思うに現代日本は様々な面で画一化が進み、個性ある者、人と変わった生き方をする者を疎外したり、「一定の枠」に嵌め込もうとする傾向がある。

結果、何やらウスペライ、変に眩しい窮屈な超管理社会が出来あがったものである。この事をハイデッガーは「輝ける闇」とも云った。それは輝けば輝くほど、闇の空間は狭くなり、人々の感情を苛立たせると云うことだ。


 俺は前に乞食や大道芸人のマイヨリティを受け入れない町は滅びる、という暴言を吐いたと思うが、昨今面白い事に横浜の野毛や静岡、名古屋の大須、富山で「大道芸フェステバル」というものが催された事である。

しかし、これは市のチンドン屋みたいなもので、管理化された芸人は卑小化され、生気のない見世物と凍結し、芸人が本来持っている土俗的な匂いなど希薄である訳である。あえて言えば芸人を生むのは場末の持つロケーションと人の気質てあり、行政や都市計画で芸人の生まれた試しはないのだ。

それは自己の存在を賭けた、ギリギリの所での表現、その様なモノでないと真実の感動は生まれて来ないのである。


 嗚呼!いかなる文明にも、腿廃期に入っていくと、どのような力を持ってしても支えきれない破綻に遭遇するものである。俺がアル中になるように・・・・


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