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2008/01/08(火)
倉敷にがおえエレジー 題99回
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栗山を似顔絵の世界に紹介したのは、銀座での先達・宇佐美と国さんであった。宇佐美は非常に誇りを持っていて、池田万寿夫を追うぱらったのも彼であり、手塚治虫を「人間を写実的に描けなければ似顔絵は駄目だし、絵物話の作家にはなれない」と又、追ぱらってしまうのである。
国さんはラムネの底のようなメガネをかけたオカマみたいな男だったが、児童雑誌に表紙画を描いていたせいか絵には一言居士で、やはり手塚を相手にしないのである。しかし、人間何が幸いするか解ったものではなく、手塚は東京を諦め帰阪、「新宝島」と云うストリー漫画を自費出版 それが隠れたベストスラーとなるのだ。
後年、宇佐美や国さんは「俺は手塚の先輩だ!」という様な世迷う事を吹帳する始末なのである。
ところでこの銀座には栃木・益子出の小林氏。福岡・旅館の息子の斉藤。広島・呉の金融業の畝氏等が居たと思う。とくにこの中で小林と宇佐美・栗山の確執は有名で、宇佐美とは今戦争末期、海軍の少年特別攻撃隊の一員だったというが小林曰く「奴のは出鱈目だ。何故なら所属部隊名と部隊番号でさえ言えないのから・・・・」と云った言葉が宇佐美の耳に入ったからである。
栗山とは映画女優・内藤洋子の妹・やす子「歌手」の取り合いが端を発しているらしい。女は女に男は男に競争心があると知っていたが、乞食エカキの競争心に妙に感動したことを覚えている。 その点、釣りと酒を愛した武さん(大阪)や信ちゃん(長崎)は素直なものだった。二人ともニガオエ以外作品らしい作品は何も残さず、怨念も残さず、酒で幽冥境に遊び逝ってしまっうのだ。自称・慶応ボーイと言っていた安部氏も、この倉敷出の竹槍氏も生死不明で、結局、最後まで頑張っていた栗山も消滅し、銀座から大道似顔絵師は壊滅したのだ・・・・・・
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