美観地区から大道絵師のメッセージです。
箱の中でいくら立派な芸術活動しょうと、学ぼうと何等、この病的社会には不毛である。
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2008/01/05(土) 倉敷にがおえエレジー 題97回
過日、訃報が突然舞い込んで来た。

栗山君が新宿・青梅街道で交通事故に遭い即死というのだ。別に俺の場合、年も年だし、生命のギリギリの修羅場で生きている連中と付きあっているので又、一人ピエロが死におったか、と言う具合にすぐ忘れてしまものだが、今回は一寸大げさだが21世紀をリードする旗手に死なれたかという気持ち多大であった。

何ゆえなら彼は東京芸大中退後、文化学院講師をしていたが「芸術は教えるものでもなく、教わるものでもない」と辞めっちまって、この道に入ってきたのである。俺も美術学校九年行き、教えて貰ったのはセックスだけだったから、その気持ち良く解かり銀座、新宿、上野公園、あげくは全国の祭りで一緒に似顔絵を描き破廉恥、痴愚、朦朧、卑猥等の生を踊り続けた仲であったからである。

 勿論こんな馬鹿げた事ばかりしていた訳ではない。彼は常にラジカルで例えば奇抜なブリキ彫刻で知られる前衛芸術家・秋山佑徳太子等と友達であり、その彼は若い頃、二宮金次郎の格好で街頭に立ったり、グリコのランニングシャツ姿で広場を駆けてみたり、突飛なハブニング活動で勇名を馳せ、70年代には政治のポップアート化目指して都知事選に山高帽で立候補するのだ。その時の選挙ポスターを手掛けたのがこの栗山で、そのポスターは実に驚くなかれアンディ・ウオーホル張りだった
訳だが、彼は別に単にウォホールのディタレントではなく、ウォーホルに会いにアメリカへ行って、その体験談を本に纏めているのである。また彼は[ポートレイト]と言う異色人物ばかり集めたニガオエ集を出版したり、「聖教新聞」には時の有名人の似顔絵とコラムを連載していた。、と同時に「肉体と概念の冒険」の名のもとに日本はもとより世界を波状移動し、彼のハガキと写真で世界のストリート・アーチストを知るようになるのである。

また昨今は彼の仲間と共に「東京零産倶楽部」を発足させ季刊誌であったがネオ・タダ的新聞を発行。前衛芸術家や異色芸術家に送り続けるのである。


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